中島哲也『渇き。』見た。

白昼、炎天下、駐車場での銃撃戦と格闘。ひたすらギラギラしてたなぁ。カーステレオから流れる音楽。にやにやしながら見ていた。
妻夫木聡の、高めで不愉快な響きの混ざる声が印象的だった。こんな話し方ができるだなと。暗闇の中で恫喝するオダギリジョーの、決して強調されすぎてはいない、極めて冷徹で冗談の通じなそうな喋り方。役所広司の悪態や怒号は、滑舌も乱れ、同じ言葉の繰り返しになっている。
にしても、橋本愛が語ると途端に「文学的」になり停滞するな。役だからしょうがないのか。


拷問される藤島が、娘にもう一度会いたい、と吐露し、対してやくざ(青木崇高!最高)が、自分の手で抱きしめたいのか、と繋いだ言葉を否定して、この手でぶっ殺すため、と語る。「ぶっ殺す」と「愛してる」は対比的に配置されつつ、交換可能なものなのだ。幾つかの短いカットバック。首を絞め殴ること、と、甘くささやいてキスすること。
加奈子と関わる人々が彼女に自己を重ねるというより、自らの不可能性を乗り越えてくれる存在として崇めるのに対し(「自由すぎる」娘への羨望)、父は、娘と自分が同じである(血のつながりのみならず、「あいつはおれだ」と理解してしまう)ことに気づく。だから必ず出会えるし、自分が生きている限り彼女も生きている、と(狂気の)断定をする。
登場人物たちは、藤島の代替として、彼ができなかったことを為し、また、彼がするであろうことも行う。探し求める行為自体を映像的に重ねられる「ボク」も(加奈子に狂う男たちは言わずもがな。はっきり「パパと同じ」と判定されてしまう辻村医師)、くり返し幻覚として現れる理想の家庭を実際に築いた愛川も、「父親」の代わりに「娘」を殺す教師も。
加奈子の自室から始まる捜索は、ホテルの一室で終る。異常に似通ってしまう2つの部屋が、繋がっているのだとしたら、描かれている彷徨は、まさにひとつながりの空間を移動しているにすぎない、ということになる。最初に戻るとも言えるし、長い穴を落ち続けているとも言える。繰り返される車での衝突によってひたすら水平移動する藤島が、「落下」という動きによって、緒方と「ボク」にも繋がる。