三浦哲哉『映画とは何か』読んでる。
《(…)もはや死は絶対的なものではなくなるだろう。》(p20)
《(…)時間的空間的に隔たったところにあるものを完全に知ることのできる手段を与えるだろう。》(p21)
《(…)諸芸術のある種の交流が可能であるということだろう。(…)映画は、空間的な造形に関わる芸術(建築、彫刻、絵画)と時間的な造形に関わる芸術(音楽、詩、舞踏)に加わった第七の芸術形式であり、さらにそれらを統合する役割を担う、(…)》(p23)
《(…)身体という投錨点から部分的に解放された視角が与えられるということだ。》(p41)《映画は、人間の身体に拘束されぬ視角を可能にする装置である。》(p44)
《つまり、スローモーションとクイックモーションの使用である。》(p43)
《身振り=運動は、映像の断片と断片を、その尺度の違いを超えて結びつける指導的原理である。》(p52)
そして、水に関わるドゥルーズのテクスト(p55)。
読んでいると、これらの記述から幾つかの映画を思い出し、それらの作品の「正しさ」を改めて感じた。
《「人間の表現には音声と身振り[geste]の二つがある(…)》(p49)
あと、ようやっとトム・ジョーンズ『拳闘士の休息』読み始めて、自分が気にいるに決まってると感じた。戦争描写、フラッシュバックがカットバックのよう。