大西巨人『地獄篇三部作』読み終えた。圧倒的な虚無感(してもしなくても、どちらでもよい。《『けれども、とまれかくまれ、とどのつまり、一切は、無意味であり、空虚であり、壊滅すべきである』(p155))に支配された男の小説。をなぜこの構造にしたんだろうか。大螺狂人の日記はまるで分裂したいくつかの人格が登場しているかのようだ。小説を書く・作家に成る(これらは厳密には異なるんだろうけど)ことによって分裂してしまう作家と、戦前と戦後で別の人間になってしまった男。こう考えていくと、大西巨人は、例えば記憶喪失によって、あるいは時間や地理的条件によって、ある人間が切断されてしまうことを繰り返し描いている(そしてそのような状況においていかに持続した何か・一貫性を持ち得るのか、はたまた逆に、変わり続けていけるのか)。
でバルガス・リョサ『緑の家』読み始める。一応ノーベル賞ということで(?)。
ちくま文庫深沢七郎コレクションが出るという…めちゃめちゃ喜ばしい。あとジェイン・オースティンとかマルケスとかロレンス(ドゥルーズ読んでから読みたいと思ってたし)が出る…ちくまは神だな。