ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリスルビー・スパークス』見た。

関係ないけどねむい…集中力ない…

なので、別のことから。今日買って読んだマンガ。
冨樫義博HUNTER×HUNTER』32巻。おお…ここにきて、選挙も、アルカ・ナニカ問題も、全部大まかに完結させ(というより、うっちゃって、という印象)、暗黒大陸の話に立ち上げて、期待させるところまで持ってく、という強引さね。
松井優征暗殺教室』2巻。そもそも、潮田渚は、男なのか女なのか(一応男、という扱いを受けているけれど、身体の線とかは、女性っぽく描いているように見えるんだよな…)、新幹線内での手先が器用な男子生徒、…暗殺に必要なものを揃えること、が、E組生徒たちの「学ぶために理想的な環境」を整えることになってしまう、のと同様に、高められた個々人の特性を引きのばし、出現された)E組生徒たちの能力が、一つ一つではなく合わさり複合化することで、暗殺を成功させることになりはしないだろうか。妙にしつこく示される、「殺せんせーの弱点」(渚メモ)も、関わってきそうな気がする。
押切蓮介ハイスコアガール』3巻。うー。言葉にできませんけど、なんか、いろいろ先を想像してまうけど、がんばって続けてほしい。悲恋になるのか、ハッピーエンドなのか…。黙して語らず、行動や表情や、何よりゲームに託して心情を描く、という方法論が確立されているだけでも、この作品には価値がある。
木尾士目げんしけん 二代目の四』13巻。くそやばいんじゃないのか。視点の変更、解釈者の変更によって、起こっている「事件」(斑目、波戸)の意味や意図が変わっていく。

ねてすっきりしたので、じゃあ映画について。
自分の恋人と、この役柄で、こういう映画に出て、しかも自分で脚本も書いて(ああいう結末にして)しまう、という、ゾーイ・カザン、という女性の、なんというか、怖さあるなぁと。しかも、ゾーイ、って…。
だって、『(500)日のサマー』を想起せざるを得ない以上、あの終わり方は、あまりにご都合すぎやしないか、男の夢物語じゃないか、と思ってしまう。しかもそれが女性によって書かれているという。そもそも、この物語が、細部を見ていくと、男の都合のよいように作られている。
自分が創り上げた存在で在る以上、理解できないことなどないはずなのに、すれ違ってしまう…というのは、一種の、男女関係の、それも、男の側から見たそれの、比喩だろう。
そういう、他者とのうまくいかなさ…思い通りにいかなさ、を描いている、のだけど、小説によって、それを乗り越える(思い通りにしてしまう)という設定がまず狂っているなぁと。いったらなんなんですが、ラノベみたい。
さらに、この女の子の造形がなんとも…。いや、軽い不思議ちゃん、とかは別にいいんですが。
気になったのは、出かける間際での言い争いのシーン。わけもわからず、気分が悪いルビーは、なぜだか、自分から、謝って、自分の心象を説明してしまう。先に折れるのは女性。というのが、いやいや、それ男の願望だろ…と思ってしまった。
ラストシーンの、カルヴィンの横顔の笑いなんて、見ててぞっとしたものなぁ。サイコっぽくて。「また始められる…」というか。ループもの感。そしてまた、うまくいかないんだろうなぁという気がする。どんだけルビーに執着してるんだよ。気持ち悪いわ。記憶がなくなったからって、何もなかったかのようにまた「再開」しようとするその心情。
あと、サマーとの関連で気付いたのは、動き、ということ。
ジョゼフ・ゴードン=レヴィットの動き、シーンからシーンへ、空間から空間へ、の動き、を、映画のスクリーンの中で描きだすこと、それを見る歓び。ポール・ダノ、にそれがあったか?彼は、ツリーハウスで寝てしまうだけだ。この映画自体、奇妙に静止した画で構成されているような気がする。だからなんか、もやもやする。
壮大なのろけを見せられた気分になる。
だってレイトショーやってないんだもんなぁ。レミゼとかホビット見ずにこれ見てしまったよ…。