ねむようこ『とりあえず地球が滅びる前に』2巻買って読んだ。おもしろい。細かいエピソード、伏線のはり方が絶妙。しっかり恋バナもありそうだし/絵のタッチの変わり方もかわいい(ドーナツ食べるシーン)/あと、同世代の女の子ばかりを登場させると、描き分けが難しい。辰兄を見ると、こういうキャラクターを上手く描けるということが伝わってくる/魚角で焼きさんまの定食を食べた。非常に普通で、薬を飲むための食事にふさわしい普通さだった。こういうことをしていると、『失点 in the park』の食事のシーンを思い出す/ランタンパレードを聴いて、またばちっとはまった。特定ではないのに、ある記憶やある感覚を想起する。ノスタルジーとか、そういうものに近い。が、完全に一致はしない。こういうことがあるから不思議だよな/で、ジャン・ルイシェフェール『映画を見に行く普通の男 映画の夜と戦争』買って読み始めている。買ってよかった激しいおもしろさ。すべて引用したくなる。映画を見ると、自分と映画の間に、有と無の間に、世界がある。それは、特定のストーリーでも、具体的な登場人物や登場事物ではなく、その後者の動きや現れ方が、自分(の中…とも少し違うが)に生まれさせる、何か、なのだ(情動…)/《ケイリー・グラントの服装は、差し迫った危機、やがて近づいてくる恐怖への無知をあらかじめ啓示するかのように見えないでしょうか。そんな時、僕は訳知り顔でストーリーや伏線を見透かす観客としての自分の意識をそうした事物に映しているのではありません。そうではなくて、微細に散らばったパッション、些細な所作の連鎖、片言、明暗の刻み、そうした情動のプリズムを纏った、或いは着込んだ身体を、そこに映し出しているのです。》(p23)/その些細さ、細部、は、ストーリーや具体性に先行し、自分に飛び込んでくる。そうしてある世界を形成する。その体験・経験が、自分を映画へと向かわせる。それが快楽でもある/《(…)その恐怖と快楽の何か知れない連結、それがもたらす愉悦の定かならぬ不安定さ、つまりはその映画的なる夜の眷族たちの属性(…)》(p9)/