ダニエル・エスピノーサ『ライフ』


えー、見て色々思ったことをツイッターにつつつと書き連ねてたんですが、宇多丸さんも同じこと言ってたので、まぁあれっすね。誰しも思うことってことですね。

宇宙ステーションISSの乗組員たちは、冒頭の変則的ラストミニッツレスキューのシーンから一貫して、「窓」越しに「見る」行為を強いられ、「観客」となるしかない。登場人物と映画を見る我々は重なり合う。

では、観客が窓=スクリーンの中に見るものとは何なのか。

それは未知のものであり、名付けられる子どもであり、誕生する"生命"だ。「そいつ」は、自分を見る観客の真似をし、いつしか観客から全てを奪い取り、観客を超えようとする。

その過程の中で、「そいつ」はスクリーンから出ようと蠢く。そして閉じ込められようとも幾度も脱出する。

本来ならばそれは不可能なことのはずだ。だがしかし……。

観客は常に、スクリーンの中のものに魅入られる。"規則"を破って、目の前を覆うスクリーンを引き剥がし、自らをその向こう側へ投入してしまうと共に、「そいつ」を自分の身体に引き寄せてしまうだろう。「そいつ」は、観客にまとわりつき、内部へ侵入し、乗り物のように使いこなし、移動し続ける。

そして最後には、スクリーンから我々の側(つまり我々の住むこの世界、「地球」)へと侵入が許されてしまうことになる。
"生命"を、乗組員たちが、まさしく「命のリレー」で守り繋いで、しかるべき場所へ届けることになった本作の結末はどういうことなのか?と言えば、「憎しみ」が排除され、「生きようとする意志」が残った、ということかもしれない。レベッカ・ファーガソンの役柄が検疫官なの、非常に示唆的だ。"生命"は疫病ではない…