ポン・ジュノ『スノーピアサー』見た。

ドラム缶を何本も繋げ扉を突破する。最後尾から、聖火リレーのように人々を伝わって、最前線に炎――すなわち光――がもたらされる。カーティスからナムへ報酬として手渡されるドラッグであるクロノールのいくつもの粒は、最後一つに固まり、「外」へと導く大火の、文字通りの起爆剤になる。
ひとりの人間、ひとつの物は1つの点。それが連なり線になる。それはつまり列車だ。
そこを登場人物たちが移動していく先で、次々と目にする、素晴らしいディストピア的ヴィジョンは、最後の扉と、その前でなされる長々とした「自分語り」によって停滞する。
そこへさらに、快楽の源を奪われて怒りを噴出させている人々が押し寄せ、さながら「動脈硬化」のような事態が発生する。主人公として先頭まで「導かれた」カーティスは、その様子を見せつけられ、その「患部」に秩序をもたらす役目を委ねられるが、かつて「失えなかった」腕を代償として、それを拒絶し、爆発とともに「血管」は崩壊し、外部へ、未来が引き継がれていくことを予期させ映画は終わる。
個の連なりによる距離を一瞬で無にする道具である銃を、ある設定によって使用を抑制しているのには拘りというか信念があるように思えたけれど、ある時点より復活する…。その距離の飛び越え方の表現もおもしろい(カーブでの銃撃!)。でも早々に無用の長物になっているような気も。
パク・チャヌクイノセント・ガーデン』は未見、キム・ジウンラストスタンド』は見ていて、内容は違うけれど、今作でも、ハリウッド映画でありつつも画の質感や演技のテイストに、ある種の独特さ、を感じた。あからさまな特徴としての、手斧やとんかち、はもちろんのこと。そして無敵ソン・ガンホ先輩の最高さも無論ある。
ところで、この映画の終盤のある「真相」の種明かし、それを語る男のある身振りが、気になって考えている。あれは真実だったのだろうか。ないのはどちらの腕か…。