塩田明彦抱きしめたい -真実の物語-』見た。

これが、ほんとうに素晴らしい作品なのだった。
1つのカットの中で、魅力的なアクションが、為され続ける。電動車いすが機敏に動き、ビール瓶で頭がなぐられ、突然の平手打ちがあり、橋の上から突き落とさんばかりに身体を押し倒す。
回転木馬が上下し、近づくと2人はキスをし、また離れる、をくりかえす。寒さに震える彼女を横たわらせ、また座り直させてから「3秒」抱きしめる(ここもアドリブだったら…北川さん最高というほかない)。たたまれたはずのシャツを投げつける、それを拾わせる(半分笑ってる2人にきゅんとなる)。
少女が雪景色の中を走っていく。その姿をカメラは並走して追い続ける。ただそれだけで、画面が充実する(『カナリア』『害虫』…)。
お茶をいれる、という行為。登場人物たちは、誰かのために、湯を沸かし、電気ポットから急須にお湯を入れ、用意をする。つかさは、一人暮らしの部屋ではなんなくこなすこの行為を、独り立ちを証明しようと母親の前で行うがうまくいかない。それを見て、自分が入れる――時間がある時には彼女に入れてもらう――と語る雅己。ここでは、この行動が、そのまま、ある人間が生きていること、を示しているかのようだ。他者のために、何かをする、ということ。
つかさを抱きかかえる雅己、の姿が繰り返しあらわれる後に、暗い部屋の中に入ってくる彼が抱えているのはつかさ、かと思いきや次の瞬間、息子の和実である、とわかる。ある一つの振舞いを鎹に、時間を飛び越えさせてしまう、この繋ぎにはふるえた。
劇中の、リハビリ風景の映像がすさまじい。風吹ジュン北川景子へ語りかける口調、声の、圧倒的な迫力。なんでも、いきなりカメラを監督に渡され、実際に自分で撮影しながら、アドリブで言葉を発していたとか。すごすぎる。しかも、撮影者であったはずの母親が画面に現れた後の、娘との壮絶な「すれ違い」を、撮っているのは誰なのか、という問いをねじ伏せ、この画を出現させてしまう、といううそのつき方が最高。このクオリティは、ほとんど最良のホラーになり得ている。
(そして、このビデオを泣きながら見た帰りの車中の2人を照らす街灯と信号の光、かたかたと細かく揺れながら小さい音を立てるたたまれた車いすの存在感、の描写!)
…そうなのだ。つかさの、記憶障害、という要素が生み出すのは、名前を覚えられないがなぜか繰り返し遭遇してしまう寺門ジモンであり、不思議と一致してしまうアイスクリームの味への独特な感想であり、雅己が複雑な表情をうかべてしまうことになるつかさの高校時代の「消えた」ボーイフレンドであり、「前にあったことがあります?」「なんか、親切だから」という言葉である。これらには、背筋が寒くなるような何かがないだろうか。…。
ラストに登場する斎藤工、彼が連れている子供は、なぜか和実と同じような青いダウンジャケットを着ている。一応は、それの理由が語られもするのだが、その似通った2人の少年が雅己にまとわりつくシーンの不気味さ(……あーでも、唐突に、今、わかったかもしれない。斎藤工は、前出の「消えた」彼氏なんじゃないだろうか)。
二者の会話、ワンカットでの(大抵はしれっと長まわしの)ラスト、その一方の人間がフレームアウトし、その去って行った方向へ、残る人物が話しかけたり、視線を投げかけたりする(雅己とつかさの母、つかさと雅己の父、のシーンがそれぞれそうだ)。これも奇妙に感じた。そこに存在しない人へのコミュニケーション、といったようなもの。
あと、上地くんのあの顛末に、最後の最後のあのはがきの写真に、この映画監督の、業のようなものを感じてしまったり。
と、不穏さにひきずられてしまうが、それだけではなくて、末尾で見られる結婚式での(これがすでにずるいのだけれど)実在のつかささんの鼻にしわをよせた笑い方を見て北川景子の演技のよさを感じたり、すべてが終わった後に見せつけられるユニフォームの記念撮影にもう泣いてしまったり、繰り返しまーさんが口ずさむ「矢切の渡し」と宴会で熱唱される「浪花節だよ人生は」にぐっときたし、錦戸くんのジャニーズメソッドな(キムタクメソッドか)ものの食べ方も良いし、…いやもちろん「抱きしめたい」という時とか、ともかく声の響き方も良かった。ナレーション多用されるかと思いきや、ここぞという時にしか使われてなかった。その代わり、の黒バックのテロップというのも、アイデア勝ち。
ともあれ、傑作でした。


今日くっそ寒くて雪もがんがん降ったけど、昨日の頭痛はなくなったし、比較的元気だった…なぜ…。