ジェイソン・ライトマンとらわれて夏』見た。

こういう作品に、なにか言葉をうみだすのは、自分にとってむずかしい。視覚、触覚、嗅覚、味覚、聴覚、が感じる、ある質感のようなもの、の魅力、に満たされているから。汗ばむ肌、に触れる指先と縄、コーヒーを注ぎ作るチリコンカンを食べる音、手で混ぜる桃の果肉、世界を埋め尽くしてしまう川の流れの轟音。
直視できず、何かに反射させて見ることしかできないということ。音も、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさでしか、感じることができない、ということ。
オープニングクレジットでトビーの名前が出て、ほぼ予想通りの登場の仕方していてにんまりした。
不安定なケイト・ブランシェットは、もはやメリル・ストリープの域に達しているのでは?対して抜け感はんぱないジョシュ・ブローリン。あとコールソンはどう見てもコールソン。