最近見た映画。続き。


ケネス・ブラナー『シンデレラ』

それぞれ、2つの呼び名を持つ男女の恋愛物語、だった。
青い空と緑の木々、広がる草原と所々に生える野花、そこに座る三人家族、吹き抜ける風。ヨーロッパの風景画のイメージを拝借したような冒頭のシーンがかなり絵画的でしびれた。その後も、宮殿の、肖像画を描くアトリエ(王、王子、画家、大公、大尉が話をしながら進行していく複雑さ)や剣のトレーニングなどのリアリティあるシーンは外してないし、舞踏会での絵画が飾られた広間から中庭、そして秘密の花園、と移動していくのもおもしろかった。ロケーションが優れてる。
無論選ばれる・見つけてもらえる「プリンセス」や、都合良く恋に落ちてくれる「王子様」なんて構造こそ抑圧でしかないけど、魔法のシーン(南瓜が大きくなるとこで泣きそうになったし)、ラストの王子の登場には最高‼︎という他なくて、つまり使い方によっては身を滅ぼしかねない麻薬だなと思った。
その善なるものが正義で必ず救われるという構造に抵抗してるのが継母なのか?だからこその「なぜいじめるの?」「お前が若くて清らかで素直だから」というやり取りなのか。
気になったのは、シンデレラの屋根裏部屋の高さが強調されるカット。継母にかしづかされる彼女は誰よりも高い位置にいる。それとは逆にラストの「許す」シーンは階段の上下に位置したまま為されるのも印象的。
その他にも、宮殿のとてつもなく長い階段、ブランコに乗る人と押す人、馬車から降りて早々に屋敷に入ってしまう、暖炉の前で横たわる、テーブルにつく人と給仕をする人間は同じ食卓を囲めない、馬上で対等に向き合う、上から聞こえる歌声を下から聞く、…等々の上下空間の描き方も興味深かった。もちろん、繰り返される靴を履かせるという行為もその変奏かと。跪くという行動(王子がシンデレラにする、シンデレラが継母にする)も。
それに対して同一平面上に行われる、シンデレラと王子の向かい合っての顔の切り返しが2度あるけど(最初の馬上の出会いと最後の靴を履かせるくだり)両方ともリリー・ジェームズよりリチャード・マッデンの方に強く明かりを当てて青く透明な瞳を輝かせていて、この映画が観客をシンデレラに同化させようとしてるのがわかる。
ステラン・スカルスガルド出てたの知らなくてかなりびっくりし嬉しかった(んだけどもうちょっと良いシーン欲しかった)。
王がデレク・ジャコビで、ディズニーファンタジーでありながらある西欧の国の王位継承譚だという面も持たせてる。ケネスなので。


マイケル・マン『ブラックハット』

追跡者は逃亡者になり復讐者にもなる、という物語。
徹底した映画的簡略化。最早エピソードですらない(そう言える長さや密度がない)表情や目線の動きだけで(つまり見えてるものだけで)男と女を結びつける。
地下水道から排水施設へと抜けていく一連の戦闘シーンと銃撃戦(というかほぼ唯一といっていいかも)の、音の重さ、光と暗さと足元を満たす水の捉え方(規則正しく並ぶ柱とその間から差し込む日光、黒く重みのある水面に起こる波紋)、銃関連の演出(弾を受ければ身体吹っ飛ぶという「規則」、トランクに開く銃痕はどうやってるの?実弾?いやまぁCGかもだけど、その見せ方)、それぞれのスリリングで美しい見せ方。香港、マレーシア、ジャカルタと準備は昼、アクシデントは夜(闇)、という構図保ってたのもいい。
ただ、微妙かつ妙な映像のスピード変化(車が爆発するときのスロー、ドライバー連続ぶっ刺しの早回し)や、人物のアップの、カメラが寄る時、動きがぬるっとした、まるで静止画を複数枚つなぎ合わせて間の画は補正で映像化した、みたいになってたのはなぜ。
男が画面見て突如激昂するシーンが二度あったり、エンターキーの「ンターーンッッ」だったり、あの緑の画面だったり、機材の中を進んでいく信号の可視化(拡大)だったり、現代のPCとは…という気持ちに。その割に「携帯はアンドロイドか?」(マン翁もiPhoneは知ってるということ)なんてセリフあったりもし。しかしこの時使われるのが(おそらく)ただのアプリだったりして興味深い。それも結びつく、移動ルートの重ね合わせのえっ…という趣き。
言いたいのは駄作ということじゃなく、うーむ、珍作…?ということか…?わからなくなってきた。ただ133分は無いよ、それだけは言いたい。
序盤の中国での会議シーン、例によってリップがまったくあっておらず。おそらく違うセリフを言わせてるか、もしくは北京語と別の方言とか。ともかくその後も中国語を喋る際の音質の不自然さが気になる。言語が異なるとアフレコも難しくなるんだな。それだけ喋る音の処理や加工は言語の特性に依存してるのか。
で、すごいうがった見方をしてしまうんだけどこの舞台設定はスポンサーによるものなんではという気がしてる。まー米中関係の軋轢とか設定として機能してはいたけど。日本も気合入れたら舞台にしてくれたんじゃないすかと思った。
見終わった後読んだパンフレットのクリヘムインタビューが一人称僕で、ですます調だったの読んで、えっ…新鮮…ってなった。しかしクリヘム演じるハサウェイのアクションを「正当化」するための設定や言葉(1シーンだけの"独房腕立て伏せ"、「俺は刑務所で頭と体を鍛えた」というどや発言)、いやまぁ好きだけどだったら元FBI捜査官とか軍人とかっていう風にしとけばよかったんではという気もする。