オリバー・ストーン『スノーデン』


非常にシンプルに、この男の道行、彷徨を辿ればアメリカが何をしているかわかる、とオリバー・ストーンは思ってるんだろう。今作は、『JFK』『ニクソン』『W』の監督の作品として『オバマ』と名付けるべき作品だった。
終盤の、観客が虚をつかれ動揺するある人物の登場シーンが、本編のある種チープな、ビデオ的な映像とは明らかに異なるクオリティで撮られていて(撮影はアンソニー・ドッド・マントル)、思ったのは、今作の本当の意味での主役はジョセフ・ゴードン=レヴィットではないんだ、ということ。彼は表情だけでなく顔の形やその喋り方も普段とは異なった発声で表現してる(のはラストのアレがあるからか、と思う)。
今作では、リベラル(的人物/考え方)を揶揄するような描写も確かにある。"本当の"真実は報道され得ない(FISA裁判所、秘密裁判!)のに、それでも誰かを支持する(劇中には現大統領も元大統領も敗れた候補たちも登場するわけだが)ことなどできるのか、という問い。
愛する人間の向けるレンズや、プライバシーが存在する空間で1人開くカメラ付きのPC(から放たれる光線/視線)を遮るしかなかったスノーデンが、ジャーナリストではなく、ドキュメンタリー作家のビデオへ語り出すという描写は、はっきり映画という存在の強度を示そうとしている。
メリッサ・レオ演じるローラがスノーデンにまず名乗らせることから撮影を開始することはとても重要なシーンだ。ある物語のある、古典的な映画の登場人物は、その名を明らかにしなければならない。
リベラルに対する皮肉めいた視線が、シャイリーン・ウッドリー演じるリンゼイの人物造形のいまひとつさに繋がってる、と個人的には感じた。ただそれは実在の彼女が最後までスノーデンに付き添っているという事実によってかろうじてまだ救われてる。
あと、スコット・イーストウッドが出てるのを知らなかったので、出てきた時うれしかった。
スノーデンのてんかんの症状の描き方にオリバー・ストーンっぽさがある(奇妙さ、神性、主観の視界の途切れ方)。
気になった点。リンゼイとスノーデンのチャットのやりとりの中にさりげなく「攻殻機動隊」の名を忍ばせている。ニコケイ演じるフォレスター教官の部屋のドアの横に掲げられたケネディの写真。