ディーン・イズラライト『パワーレンジャー 』



最近こういう感じの選曲が多いけど、本編で使われることってまー無くて、でも今作はありました。

序盤の、外から(『宇宙戦争』のような)ではなく車の中から周囲を延々映し続ける擬似長回しシーンがあるんだけどあれはなんなんだろう、と考えてたんだけど、監督のディーン・イズラライト、南アフリカ出身(ブロムカンプ!)で、ジョナサン・リーベスマンのいとこらしく(リーベスマンもヨハネスブルグ出身らしい)、その流れとしての映像のセンスなのかな、とちょっと思ったりした。

採石場という舞台の正統さを存分に感じられた。もちろんどんな映画だってそうなのは当然なんだけど、本作はまず、「場所」のイメージによって統合されている。金鉱と岩山と洞穴からと、海底と船と港から、の2つの領域にある場所群からの動きが、一つの小さな町(のドーナツ屋)でぶつかる、というストーリーの流れもそうだ。

そして、落下する/沈む("落ち"こぼれる、そして「死」)こと、と、底から上昇する(復活する、蘇る)、という2つの動きが、レンジャーに選ばれた彼らには、その始まりから最終決戦まで、ついてまわることになる。

それにしても、世界の危機と小さな日常の問題との並列が極めて"戦隊"的だなと。

追記としてですが、最近加藤幹郎『映画ジャンル論』を読んているので、それを踏まえて思い返してみると、本作には西部劇みがあったな(牛、金鉱山、荒野を走る列車、小さな町での"決闘")。