レヴィナス『時間と他者』、ドゥルーズ アンドレ・クレソン『ヒューム』、ホンマタカシ『たのしい写真 よい子のための写真教室』(想定がみすずな感じ…平凡社だけど)を買った。
笙野頼子『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』を読み終えた。
《火星人に歴史がないとしても、火星人はいないという事はない。それが大切な神話への道です。また火星人とそう呼ばれた名を叩き返す事も火星人の証拠です。同時に火星人だと認めてやれば相手が困る時にそう言ってやるのも、俺達の自由で、その時に俺達は火星人です。そして火星人にされた人はひとりひとり、おんたこのいばって作った王道のおんたこ史を書き換えてやればいい。迷惑を受けたものはめいわく史を書けばいい、おげれつに悩んだものはおげれつ記を書けばいい、死んでけと思ったものはしんでけ録を書けばいい。その中に共通の言葉があれば、俺たちは火星人でなくとも火星的団結をしているのだ。それが俺たちのばらばらな火星人神話です。それにもしかしたら本当に火星の歴史があってそれをおんたこが隠しているだけかもしれないのだ。だったらそれも掘り起こす。火星人と言われれば言われる程昔の話や自分がやられた事を書き残せばいい。》(p222)
一つでない神話を、ひとりひとりがばらばらに書く。それは私から始まる。私達、俺達、が決して一つになる、というのではない。「私などない」「あなたなどない」ではなく…とか思ってレヴィナスを読み始めたら、そんな感じのことから始まってて驚いた。
孤独について、またその乗り越えについて。しかしその乗り越えは、主体によって対象を吸収してしまうことでも、対象に主体が吸収される脱自(エクスターズ)でもない。
《それどころか逆に、われわれは、統一性のうちに融合することのない多元論〔多様性〕に向かって歩を進めたい、そしてまた、もしそんなことができるものなら、パルメニデスと縁を切ってしまいたい、と思っているのである。》(p7)
決して一元論(モニスム)にしない。
…とか。まぁでもそっから違ってくるが。誰のそれも代わりに行うことができない、実存すること、についてとか。しかしまた戻ってくるような気もする。
ホンマタカシのもおもしろすぎる(アサヒカメラの連載もちょっとのってるみたいだし)。