ザック・スナイダー『マン・オブ・スティール』見た。3D。

クラーク・ケントは、地球に適応し、実父であるジョー・エルが、地球の大気と呼ぶもの、その地に宿る力を身に着け成長し、能力を高めた。その力、とはなにか。
作中の回想などで繰り返し登場する、傾きかけた太陽、地平をそのオレンジ色の光で満たす夕日であり、雑草と農作物をゆらし、洗濯物やマントをはためかせる風であり、育ての父であるジョナサン・ケントを殺した巨大なツイスターでもある。
自然の質感、いや踏み込んで言ってしまえば、アメリカという土地の質感、をこの映画は、たとえ最終決戦地がニューヨークでなくてメトロポリスであっても、手放していない。巨大な侵略船が到来するそのシーンですら夕景である。
それが、ボンネットを開き、油まみれになりながら自らの手で車を修理するジョナサンの姿(『グラン・トリノ』におけるイーストウッドのセリフを想起した…アメリカで一人前の男になるということ)、カンザス出身の正真正銘のアメリカ人、を自称するクラークへと繋がる。
一方で、ゆっくりとこちらへ向かってくる正体不明の超人に対して、兵士たちは自然と(上官が「この男は敵ではない」と口にするより前に)銃を下すだろう。そんな彼が最終的に、最後の残った同胞であるゾッド将軍を、あまりにもsavageな、それゆえにプリミティヴな方法で殺すのは、巨大な白い駅舎であり、その崩れ落ちる柱の造りもあいまって、まるで神殿にようだ。同族殺しにふさわしい場所である(そこに現れる「母」的女性に泣きつくのにも)。
ここにあるように、かつて幼少のころの同級生の母親が語ったような、奇跡であり神の御業と称するような神性を彼は宿してしまう。
つまり、2つのイメージが混在した存在がスーパーマンである、ということ。クリプトンと地球(後者においてクリプトン人が、無数の情報やイメージにさいなまれてしまうのは、前者にそういったものが存在しないからだろうか…「大気」に満たされていない、シンプルで必要なものしかない世界)、すでにこの世におらずまるで神話の登場人物のような実の両親と、着古したネルシャツや愛犬などのある種の(とまわりくどくいわなくてもよいけど…)象徴的事物で形成されている育ての両親。クラークの外見も、その2つに揺れる(「あの」スーツと、盗んだ服)。
しかし、それを統合するのが、あの、幼き日の、マントを付けポーズをとる姿なんじゃないか、と思った。そこに帰結する、というか。
戦闘シーンは、完全に別次元のレベルに達していた。素晴らしい、というか、異能力での戦いの描写の、ひとつの高みだろう、間違いなく。高速で動き、本来ならは区切られている空間(室外と室内、など)を強引に(破壊しながら)連結してしまう(ビルの外壁をいくつも貫きながら吹っ飛ばされたり)。しかも途中でカメラが動き、ズームアップしたり、動き回る対象をワンカット内に収めようとする。
にしても、ヘンリー・カヴィル、声が最高(いや半端ねぇ胸筋も)。元々セリフも少ないのだけれど、その言葉少なさに見合った、低く、しかし確実に伝わるような不思議な魅力のあるボイス。これを見ると、やっぱクリスチャン・ベールと共演してほしかったなと。
…てか、どうやってバットマンと戦うんだろう…むりだろ、これ相手は…。
そしてエイミー・アダムスを乱用しちゃだめ(真顔)。


新しいイヤホンを買った。

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確かに音はいいんだけど、慣れないからつけにくいし、なにより聴いていると疲れるくらい。