山崎貴永遠の0』見た。

最初に平幹出てきておっとなる(腕がないのをしっかり映していたのとか、完全悪くない。CGの良い使い方)。
さらに、夏八木勲とか、橋爪功とか、山本學とか、風吹ジュン(実の父親の言葉を、娘から聞いて、感きわまるシーン、めっちゃよかった)とか、まぁそういう方々がすばらしくこの映画を肉付けしている感じ。
もちろん、田中泯もそうなんだけれど…でも、三浦春馬を抱きしめ「俺は若い男が好きだ」って言うという、もう頭こんがらがるようなシーンとか、連続細かいカット割り(あることは知っていたけどあまりに衝撃的すぎて…)とか、なぜかそんなわけわからん描写があったりする。役柄も、…というか、あの監視カメラのモニターをわざわざ映したりする妙な執着とかなんなんだろ。おもしろいけど。最後のオチというか「謎」の存在とか。アウトレイジ的人への愛着あるんだろうか。ヤクザさんが、戦後の日本を「守った」という「神話」。
対して。三浦春馬くんの、いかにも、自分に自信が持てない何もできない若者、というのを類型化したような動き、姿勢、口調がわざとらしすぎて、やばくて、これは彼自身というより、こういうキャラクターを生み出した制作側、演出家の問題だなぁと思ってたけど、その後の染谷将太くん見て、いやこれは役者の問題だわと思った。染谷くんは、あのキャラクターにリアリティを宿す演技をしている。
新井浩文もよかった。あれだけタバコをすぱすぱ吸わせていただけでもこの映画を評価したい。
岡田くんが染谷くんに写真を見せるシーン、完全にいちゃついていた。「ちげーよ」とか言い出しかねない雰囲気あった。
井上真央のほっぺかわいかった。それにそっと触れる染谷くんの手。
端役の人たち、日本兵の人たち、の演技とかひどかった。ああいうのはほんときつい。
戦争映画、戦闘機・飛行機映画、の与えてくれる快楽とか喜びみたいなものはほとんどない(宮部の天才的操縦技術を表現する描写が貧弱すぎる。ほぼ言葉だけ)。さりとて、はっとするカットや動きもなく(いちいち、「こっちに注目しろ」とばかりにカメラを振るのやめろ)。海上での戦闘シーンでのみカメラは自在に動く、それは良い。それ以外では決して背景は写してはならないとばかりに固定され窮屈。
岡田くん演じる宮部は、物語の後半、特攻の護衛を続けることで、憔悴していく。そして、自分は、彼ら=特攻隊員の犠牲の上に生きながらえているにすぎない、と語る。要するに、戦争で苦労したり亡くなった人々と、現代人たちの関係性と同じであると「言いたい」のだと思う。
では、宮部の弱った姿をみて景浦が、「彼岸に足を突っ込んでいる」「この世のものではない」と表現し、最終的に宮部が、特攻に志願することになることが、「犠牲に報いる」ことになるのだろうか。現代の人々も、「そう」すべきなのだろうか。
そして、血のつながりへの、異常な(と言いたい)「信頼」にいらつく。