ピーター・バーグ『バーニング・オーシャン』


ピーター・バーグの、危機的状況を見返りを求めない英雄的行為が打破するというモチーフは、『ハンコック』『バトルシップ』ではそのSF的設定によってある種"無理矢理"に切り抜けられていた(し、その無理矢理さが奇妙な魅力を持った)。
けど『ローン・サバイバー』は史実だったため、そうすっきりとは終われずしこりが残った(シールズ達の助かり方は、事実であるがゆえに"ひっかかり"のような、いわく言いがたさ、があった)。そして、『ローン〜』に萌芽はあったけれどあまり明確化はしなかったフィールドに、今作では踏み込んでいる。

壊れたフォード・マスタング、中身を溢れ出させるコカコーラの缶、といったもの達、「神が創った」かのように巨大な石油採掘装置、その中で語られる「小さな枠組み」と「大きな枠組み」の挿話、ディープウォーター・ホライゾンの細かい無数の故障・不備と設備全体の不調、など、小さいものと大きいものの対応という構造、等々で、"それ"(燃え盛る炎を背にはためく旗)を表徴している。そこで起こる危機は英雄によってすら解決はなく、助かったとしても、そこで失われた者達が、生還者の身体やイメージに張り付いている(マーク演じる主人公にすがりつく遺族、ラストに出される実際の写真群)。

しかし、1番怖いシーンが、どんな爆発や水難よりも、事故発生後の操舵室にジョン・マルコヴィッチ演じるヴィドリンが入ってくるシーンというアイロニーね…「何が起こった?」って!!お前が言うんかい!!!

ローン・サバイバー』では徹底的に地を這って砂埃にまみれのたうち回りながら転がるように移動し、瀕死の仲間を引きずっていったマーク・ウォールバーグが、『バーニング・オーシャン』でも油と泥にまみれてのたうち回りながら仲間を引きずっていく。そして今作が『ローン・サバイバー』の奇妙さを照射しているように感じられる。

あと連呼される「俺の目を見ろ」という指示ね。その前に彼は、妻に瞳を見せてくれと頼んでディスプレイ越しに見つめ合う(その時の妻の夫への「サイコパスみたい」という評価も引っかかる)。それに対比するように負傷し一時的に視界を奪われるミスター・ジミーや、かけていたゴーグルが泥だらけになることで見えなくなってしまう人物達がいるわけで…さらにいえば、船から燃え盛る塔を見つめるケイレブ、生還後別の遺族に絡まれて腕で目を覆うようなしぐさをするマイク…

説得力、という点において『バーニング・オーシャン』でカート・ラッセルジョン・マルコヴィッチ、『パトリオット・デイ』でケヴィン・ベーコンジョン・グッドマン、をキャスティングするピーター・バークの正しさ(逆にいえば過去作ではこのアメリカ人俳優達の感じが足らなかった)…。カート・ラッセルは体制に反抗するし、ジョン・マルコヴィッチは癖のある姑息さやアイロニーを体現するだろうし、という"見通し"が立つ。