ロブ=グリエ『迷路のなかで』読み終える。
読んだことのあることでしか、構成されない…反復?「窓、窓、ドア…」のように簡略化さえしていくんだけど(そしてそれで読めたと思えてしまうんだけど)、それをどんどん過剰にしていくことも可能かもしれない。
金井美恵子『噂の娘』読み終える。
ありふれたこと(《そんなことは、映画でも、小説でも、世間でも、ありふれた事なのだ、と次女は言う。》p317)、聞いたこと、見たことがあること、誰かが体験したらしいこと(それを自分の経験としてしまうこともある。《いろんなことが映画とか本とか人に聞いた話しとか夢で見たことなどが、ゴチャゴチャになって、あんたのオモチャ箱とか机の引き出しの中とか、小鳥の巣のようにゴタゴタと混りあうことがあるのだ、と母親は言うのだが(…)》p353)が、くりかえし現れる。
それから、化粧品、(母親の)指輪、レターセット、かき氷、…記憶の中にある(からこその?)繊細で甘美な細部。
高峰秀子『わたしの渡世日記』読み終える。「片輪」としての自分の子役時代から現在にいたるまでのことを、悲惨さにユーモアを加えて語っている。最後に高峰秀子自身が「主役」だとする母親も、そのあまりに狂気じみたと思わずにはいられない言動が哀しさとおかしさのまざった感情をひきおこす。何よりもこの母親もまた、「高峰秀子」であるということか語られる冒頭から、鳥肌が立ってしまう。
もちろん、すばらしい人々、小説家、画家、俳優、裏方、監督、日系二世の青年、パリのマダム、そして夫であったりするんだけど、そんな彼らとの出会いやエピソード、別れが、彼ら自身の性格や特徴なんかと共にユーモラスに、描かれている。
フランスのアパルトマン?の廊下の自動的に明かりが消える装置が出てきて『迷路のなかで』を、もちろん「林長二郎」という単語なんかで『噂の娘』を思い出したりした。読書の巡り合わせ…というかそもそも『昔のミセス』で『わたしの渡世日記』を読みたいと思ったのだけど。