東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン』読む。なるほど、いくつもの自らの幽霊=可能性と不可能性のファントム、を引き寄せ生み出してしまうのがキャラクターなのか…。しかしそれは、キャラクターじゃなくてもよいような気もする。幽霊を呼び寄せてしまう、キャラクターや登場人物や物語や小説を変化させてしまうのは読者=作者だから。一方通行はいくらだって阻止できる。というのは東浩紀の言ってることとは(コミュニケーション志向)違うんだろうけどなー。
まずは何よりも環境からとなっている。環境も呼び寄せる一因だから。
THA BLUE HERB『STILLING,STILL DREAMING』を電車のホームで聴き出して、地団駄踏むくらい格好良い。