ECD『何もしないで生きていらんねぇ』ようやく見つけて買えた。ブックガイドが載ってるのがうれしい。あとついでにカフカ『夢・アフォリズム・詩』も買った。あきらかにおもしろそうすぎる。
で、春日武彦『臨床の詩学』読み終えた。
初めて春日武彦の本を読んだ。患者に対する正直すぎる吐露が笑えたのだけど、他の本でもそういう記述があるかどうかわからない。
予想外・支離滅裂・唐突・非論理的な言葉が、救済になったり事態を発展させたりするかと思えば、至極当然な、一般的な言葉遣いが人を追い詰めたり、過剰な反応を引き起こしたりする。もちろんその逆もある。
《ふと見ると、彼の両手は指が何本も欠損していた。母親が言うには、息子が自分で切り落としたのだという。老母は、何の感情も交えずにそんなことを言う。左右で合計五本は指が足らない。わたしは怯んだ。そのせいで、間抜けなことを口走った。/「指、不便じゃないですか?」/すると彼は表情を変えることもなく、「いや、俺はこれで結構器用なんです」と答えたのだった。/その瞬間、なぜか彼が不完全な両手で、猛烈な速さで手を動かしてパソコンのキーボードを叩いている場面をわたしは想像したのだった。あまりの動きの速さに、彼の指が何本なのか、誰にもわからない。彼はそれほどに素早い動きでキーボードを叩いているのに、いったいどんな文章を綴っているのかわたしにはさっぱり見当がつかない。》(p78-79)
《突然にキレたように映っても、実は本人はその機会を待ちかねていたというのが実際のところである。》(p166)
《自分の気持ちや特定の状況をなんとか適切に表現したいと思うあまりに、自分で言葉をつくってしまう人がいる。》(p173)
境界性パーソナリティ障害(BPD)の治療、というか、そういったものに対する取り組み方が、完全に、一周廻ってしまっている感があった。そういうものだからしょうがない、というか、例えば、そういう人が無事に生きていけるかどうかは、医療とか治療とかそういう問題ではない、ということは、普段生きているあらゆる人々と同じだ、というか。言いづらいのだけど。
そう、言葉に出来ない、というのがやはり重要だという気がした。
こういう本を読むと、自分がやっぱりおかしいように思えてしまう現代病…。
久しぶりにペヤングを食べたのだけれど、なぜ自分がペヤングをあまり好きでないかわかった。湯切りの時の不安定さだ。