トニー・ギルロイデュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜』DVDで見た。

しかしジュリア・ロバーツの扱いには納得いかないな…。それは置いておくとして。
話としては、そこまで複雑なものではないのだけれど、語り口を、必要以上に入り組んだものにしている、という印象。いや、それだって、大してめちゃくちゃなわけではない(時系列が乱れまくっているとか、そういうことではない)し、なんというか、なぜこの構造を採用したのか。
ローマで、フロリダで、クリーブランドで、時間と場所をまたぎ、何度も同じ、「再会」というくだりを繰り返す。思えば、彼らの本当の最初出会いも、ナンパの手段ではあったにせよ、再会、という口実が使用されている。そして、その後は、お互いを疑い合う、という流れも。
そして、観客が見るものとしての最初の再会は、意図的に再現されたもの、彼ら自身の最初のローマでの再会をトレースしたもの、それを脚本化し再演されたもの、であって、その再演は、盗聴している者たち、という観客に向けられたものであり、無論映画の観客もその詐称の対象だった…というようなことを改めて考えてみると、まぁ、その構造それ自体が映画として存在していることがそれだけでおもしろい、という気分にさせられもする。
にしても、クライヴ・オーウェンは、尾行の動きや、対象を離れた位置から見つけるという行為が、不思議と似合う、というか、違和感がない。小走りの感じとか。
この追いかける、という行動も、よく考えたら奇妙。街角で、ぎりぎりのタイミングで対象を見つけ捉えていく。映画的っちゃあ映画的なのだけれど、現実にはありえないような。もしかするとプロ(?)には可能なのかもしれないが。
最終的に物語の肝になる分子構造図を、社外に持ち出すための手段として、特定のコピー機で印刷しそのデータを盗み取る、という機材が出てくるのだけれど、その特定のコピー機をさがし出す、という行動だけで、緊迫感を出し、惹きつけようとする、のがすでに狂っている。しかし「ファックスでいいじゃん!」みたいな、そりゃひどい、というような突っ込みも炸裂したりして、ますますわけわからない。
例えば、冒頭の、尾行のまき方、や、カジノでの策謀、いわゆるハニートラップ(「女にだらしない、をキャラにしている」はしびれるなぁ)、といった、スパイ的、諜報部員的テクニック、技術が描かれていて、それが、まぁ、国家機密や、人命にかかわる事なら、緊張感がみなぎるのだけれど、発毛剤、についてだから、なんというか、気が抜ける感じがするし、ばかばかしい。
あと、音楽が良かった。ファンクな感じ。ジェームズ・ニュートン・ハワードって、ハンス・ジマーと『ダークナイト』やってた人か。
撮影もロバート・エルスウィットって、無駄に豪華だな。
とりあえず『フィクサー』も見なきゃな。