休日の新宿はルノアールですら混んでる。隣の席の男女の会話から「異業種交流会」という単語を聞きながら黙々とケーキ食った/すべてはうんたらかんたら、みたいなタイトルの映画予告編での東出くん、これまた棒読み(『ごちそうさん』も…)/『キャリー』のあとの電車で、女の子のスマホの画面にLINEのグループで「合コンプロジェクト!」というんがあるの見てしまう/ドキュメント・ナウ、終わってたのか。TBSはどんどんこういう番組終わらす/ソニー・ピクチャーズの映画は作中のデジダルガジェットをこれでもかというくらいソニー製品で統一する。『キャリー』もそうなんだけど、ただ、この作品では、PCにしろ携帯にしろ、悪意を持って描かれてるので、宣伝としては逆効果じゃないか、って気がする。開き直ってiPhoneにすればよかったのに…って、それはただのappleへの嫌がらせか/初めて行った三茶のカレー屋さん、ルーがびっくりするくらい普通で、まずくはないけど、レトルトとか学食のカレーに近い感じだった/後からきたお客さんが大盛り注文してて、ほぉそういうのもあるのか…と思ってたら、食べ進めたあと、ご飯の追加をしてて、えってなった/映画見に行こうと思ったけれど、昨日のあまりに人の多い渋谷や新宿思い出して嫌になってやめた/まぁ殊更見たいものがないってのもある。『セブン・サイコパス』か『デッドマン・ダウン』くらいか/キネ旬で三谷さんが、丹羽長秀=小日向さんへの思い入れを熱く語っているの読んで、『清須会議』少し興味出てきた/でもいまだに、『ザ・マジックアワー』のひどさへのうらみ忘れられない/結局今日も3DSポケモン買わずじまい/どう考えても、今ゲームにははまれないと思うんだけど/岡田利規『エンジョイ・アワー・フリータイム』読み進めてる。最後の「エンジョイ」まできた。なんか、おもくるしい/


ショーン・レヴィデート&ナイト』DVDで見た。

『THE ICEMAN 氷の処刑人』でウィノナ・ライダーは、水の入ったグラスでの乾杯は不吉だと口にするが、マイケル・シャノンは、そんなものは信じない、と落ち着いた口調で返し、結局二人はグラスをあわせる。
今作の主人公たるフォスター夫妻の間でも、ほぼ同じやり取りが為されるのだけれど、1点違うのは、それが「空のグラス」であることだ。
この迷信、の本来の意味は置いておく。問題は、映画内でどのような役割を果たしているか、である。
2組の男女の未来を予言することとなる――その後当然のごとく不幸に見舞われる(その程度は異なるが)――しかもその「元凶」となるのは、両作品ともにレイ・リオッタなのだ――この「縁起の悪い」行為が意味しているのは、その場での祝福や喜びは、見せかけでありその実体や中身がない(本来そそがれていなければならない酒が入っていない)ということだろう。だからこそ、映画の中で、彼らが構築してきた、半ば偽りの関係に、試練が与えられることとなる。
まぁスティーヴ・カレルベン・スティラーじゃないから仕方ないんだけれど、役柄通り、筋肉がなくて凝り固まっている。ただその動きずらそうな感じ、もごもごと、自分とかけ離れた(ピンプやバッドガイ)キャラクターの型を懸命になぞろうとしてうごめく身体(言いにくい言葉を放とうとする口唇含め)が彼の持ち味と言えばそうだろう。この、別人になり替わる、というのも、カレル的主題といっていいかと。
ただ、せっかくの見せ場である暴走車の乗り移りも、ガラスをたたき割ったり、梯子につかまったり、はつらつとしたアクションの片りんを見せる美しいコメディエンヌとしてのティナ・フェイに任せればよかったんじゃないかと思ったり思わなかったり…。
軍人あがりのマーク・ウォールバーグに、刑事たちと一戦交えさせてほしいし、ジェームズ・フランコミラ・クニスにももっとドタバタに参加してもらいたかったし、当然ウィリアム・フィクトナーの、レイ・リオッタとの最後の乱闘が見たかったのだけれど(無論「ほうき」と使った)、まぁそれはいろいろなあれがあるのだからしょうがない。そんな要素は他の映画に任せ、この作品では、すばらしいロマンチックコメディを楽しめばよいのだろう。