豊田利晃『クローズEXPLODE』見た。

藤原たちが、鈴蘭と黒咲に奇襲を仕掛ける、商店街や、アーケード街、卓球場、バスの中、でのシーンは、その空間構造が生み出す、人物の動きやその撮り方を見ることができて、やはりおもしろい。

肉弾戦による暴力を映像で表現することについて考えていた。
ワンカット、は、その暴力の主体、が一体どれだけの技量を持つ人物として設定されているか、に依存してしまうような気がする。例えば、ジェイソン・ボーンなら、バットマンなら、キャプテン・アメリカなら、超人的な動きがなされていてもかまわないけれど、けんかの強いただの不良高校生(何か格闘技をかじっているくらいの)だとそれは不自然なので、節度が必要になる。そしてそうした抑制をしつつ、強さや速さや痛みを表現するのが、カットを割ること、だ。
ただ、例えば殴る動きがあって、しかしそれを受けている側が映っていない、の後、その受け手が苦しむ様子のカット、に変わる、というのは、どうもあまり良いと感じない。これは、動きの素晴らしさを表出するための(そのように「誤魔化す」ための)カット割りではない、からだと思う。
こうしたことを加味して、ラストの旋風雄と加賀美のシーンは良かった。

それにしても、東出くんは黙っているか、ぼそぼそしゃべっていたほうがいい(やはり吉田大八監督は慧眼あったということか)。彼ももうちょっと早く生まれていれば、無理やり喋らされることなどなく、雰囲気よい映画にばっかり出させてもらえていただろうに。

「強くなりなさい」「でっかい遊び場」といった言い回し、発する登場人物のキャラクター設定があるとしても、少々微妙といわざるを得やしないか。高校生たちも、馬鹿な不良が言いそうなことしか言ってなかった。