アレックス・カーツマン『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』


感想をまとめると一言、「2017年ベスト1」。もう2017年は本作と、あとトランスフォーマーだけ見たらいいかなあ………………ああ、スター・ウォーズ、そんなものもあったっけ……(遠い目で)。
トムは絶対に間違えない、何故なら"映画の神"だから……ってガンギまったことを言ってしまってるけど、本当に"神"になっちゃうんだからもうしょうがない。

スピルバーグが、『マイノリティ・リポート』『宇宙戦争』で見出した機能としての"vacant"、つまり"見る"人、そして同時に"魅入られる"人、であるところのトムの本領発揮。「瞳」のモチーフはもちろんのこと、全編にわたってトム演じるニックは、過去と未来が入り組んだ映像=ビジョンを見させられ(2種のビジョン、だからこそ瞳は分裂する)、それに魅入られて(呪われて)、行動し続ける(だから彼は逃走することができず、常に元凶へ引き寄せられてしまう)。

そして、再生(reborn)と反復(過去と現在)の物語というモチーフも一貫しまくってるのに痺れた。太古の昔の出来事と同じことを繰り返そうとするために現代に蘇る古代エジプトの王女。

しかし近年のトムの、女性の望みを叶え、自らの身を捧げ、自身は何も得ず、物語世界から立ち去る("立ち去る"男としてのトム・クルーズ!)ことで映画を終わらせる、という雛形への一貫した強いこだわりはつくづくなんなんだろうか。
さらに、今作を見て考えたところ、それだけではなく、トムは女性たちからまず何かを(直接的ないし間接的に)奪取し、その後に別の形、別の質、別の量でそれを返還する、という要素があることに気づいた(過去作もこれに当てはまるものがあるのでは)。

そして、本作がまさに奪取と返還の物語になってる。
十字軍が古代エジプトからイギリスに持ち帰ったもの(現実として、大英博物館なんて「奪取」御殿じゃないですか)、そして現代でニックがジェニーから盗んだメモが、それぞれ物語の発端となる。
つまり、主要登場人物の女性2人とも、所有物を奪われている、ということになる。
そして、まわりまわってそれらは元の持ち主へ返却されることになる(しかしそれは、前述の通り奪ったものをそのまま返すというわけにはいかないのだけれど)。

ともあれ、本作に対する態度が、自分にとって分水嶺になりそうだ(何の?)。