ザック・スナイダー『ジャスティス・リーグ』


100点です。そう言えることがなによりもうれしい。
新メンバーの説明も、安易なエモで固めて強制的に観客の脳内に彼らのキャラクターを注入する、という感じで、意外とすぐ馴染んだ(BvSがあれだけ長くて「足りない」と思ったのと比べて)。
だから勇気を持って言うけど、単体作品より今作のワンダーウーマンの方が私は好きだし、俄然『フラッシュポイント』(ってタイトルになるんだっけ?)が、もし本当にゼメキスが監督になるなら、とても楽しみになってきた。今作で見るフラッシュはまさにゼメキス的主人公(誰もついてこれない途方もない果てまで行き着いてしまう男…)なので。

最初寄りが多いなと感じてよく考えてみると、なんだったらビスタの横長の、左右部分をほとんど意識しない画になっていて、もしかしたらこれは"コマ"の画角なのでは…?と思った次第。
つまり、今までのザック・スナイダーのコミック原作映画での、いわゆる評価されてた(の?)コミックのビジュアルを再現し美しく構築された画作り、だけではない、決して悪い意味ではない「マンガっぽさ」を感じて、素晴らしいなと思った(で、当然、『マン・オブ・スティール』『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』はシネスコ、『ジャスティス・リーグ』はビスタ、の問題に行き着くわけで)。
例えば、サイボーグとダイアナ2人のシーンで、街の灯りが消えていく、ああいう演出や画の感じが「マンガっぽく」て…………そーだなー、言い方としては、「愛らしい」と思えた(原作?にあるかもしれんけど、でも前述のような「美しさ」が志向されてない)。
さらにちょっと口悪い言い方をすれば、ちょっと「抜けてる」ところ(ちなみに、「抜けてる」とこと、ギャグのとこは違う、と思う)。例えばブルースの目の前からアクアマンが去っていくシーンの、あの海に戻っていく感じ。彼が海中を泳ぐ軌跡を水面に見せるとか。キメきれてない感じ。そして、キメの画がないことでむしろ愛せてしまったんだよなあ。
例えば(と挙げるもののセンスがなくて偉そうに言えませんが)、指を鳴らすと大波が押し寄せて、ブルースが後ずさりしてて腕で顔を覆う、波に飲み込まれて消える、とか、単純に高所から飛び降りるとか(非人間的演出)。カッコつけようとすればいくらでもできる、はず。
スローのことでいうと、フラッシュのシーンが挙げられるけど、あそこスローをちょっと面白くしちゃってる(動く顔!)というか、なんだったらちょっと小馬鹿にしてないすか?(最高)。
そして、何のシーンとは言いませんが、チート的に強くて、しかも強いが故に面白くて笑える、というのがめっちゃ良くて大好きだった。そのシーンはずっと笑ってた。
あと、終盤の、トウモロコシ畑?小麦畑?のシーン。あのいかにもな合成と、寄るとなったら徹底的に寄るあの感じ。それと、エンド後のアレ、映像の感じもなんかひっかかってる。夜の海の船で、照明の妙な明るさ。
さらに画の「狭さ」で思い出すのは、典型的バットマンのシーンである、屋上での犯罪者との格闘シーン。あの妙なカリカチュアっぽさ、セット感、作り物感。
それとバットケイブ。面々が集まる姿を見せるのが、よりによって、縦長の狭い普通のオフィスとか、ガレージみたいなところで、そこもなんだかおもしろい(もうなんでもおもしろいモードに入ってる)。
なにかこう、徹底して狭い画角に、真四角の「キューブ」の中に収めて、画を作ろうとしてるのではとすら思えてきた。そこで展開されるのは、いい方は悪いけれど、「ダサい」(でもいとおしい)物語や描写。

生々しさ、リアリティ、深刻さ、「美しさ」、政治的要素、パワーゲーム(主導権の握り合い)、といった要素(おそらくベタなヒーロー物のアンチテーゼとして導入されてきた、だがすでに過去のもの)から離れた、全く別種のものが目指されてるがそれを自分は今名指しできない……そして、今の状況下、このタイミングで、お金と時間をかけて、容易に名指せないような映画を作ったということに心打たれてるんだと思う。しかし、『マイティ・ソー バトルロイヤル』が同じ年に公開されるというのはおもしろいね。巡り合わせの奇妙さ。