ガス・ヴァン・サント『ドント・ウォーリー』

AAとグループセラピーと講演会、(今作では交通事故という)決定的瞬間が除かれること、悪態と冗談と親愛の言葉、…おしなべて全てアメリカ(映画)の(重要な)構成要素である。しかもいきなり序盤に、星条旗を背にした演説シーンがあってびびってしまった。

 

何が起こってるのか、なんの話が喋られてるのか、ここで登場する人物が何者で何をしに現れたのか、説明はなく、ただ唐突に(最低限の自己紹介としての名乗りだけで)彼らは喋り始め、行動し始める(まさに「事故」のように)。いきなりフルスピードで走り始める電動車椅子のように。

つまりはそれって、前提がないってことだ。ジョナ・ヒル演じる人物が、主人公ジョンに語るように、誰かの話、枝葉の話ではなく、まず「君の話を聞かせてくれ」ということ。

 

しかし、この映画のホアキン・フェニックスは、肉体の演技としてかなりすさまじいことを、さも自然に、さらっとやってのけているので、思わず何も大きなことは起こってないかのように観客である自分は見てしまっており、そのことに気づいて戦々恐々とする。