M・ナイト・シャマラン『サイン』をDVDで見た。
シャマラン的人物(オリンピック選手とか言い出す女性警官、薬局のカウンターで懺悔し始めちゃう店員、コーラのCMに過剰に反応するおじさん)やシャマラン的小道具(アルミホイルで作った帽子)、シャマラン的設定、が、例によって多く登場するわけだけど、そういったものが、シャマラン的出来事=『サイン』では宇宙人襲来、の(外部からは完全に「とりあえず」の)解決に貢献している。コップの水、壁のバット、喘息、ラジオ、トランシーバー、消えているテレビ、など。これらは、直接宇宙人(てかグリーンマン)と相対した時に用いられていたけど、それ以外のすべて、も、もしかしたら、この解決に向かって用意されたものなんじゃないか、と思わせるのは、後半、宇宙人との対決の最中に、なぜか、メルギブが、娘と息子の、生まれた時の話をしだし、さらに(それ以前から行われていたけど)妻の死に際を想起しだすからだ。後者は、妻の最期の言葉が、明らかに、宇宙人撃退の方法の一部を伝えていた(メルギブは画面を「見る」ことでいち早く宇宙人の存在に気付くし、ホアキンは「打つ」ことで攻撃する)ことから、もしかしたら、あの妻の死の時から、この出来事が起こることは決まっていたんじゃないか、と思わせるし、前者は、一番わかりやすいところで言えば水だけど(喘息もそう言っちゃえばそうだけど)、娘や息子が生まれなかったら、出来事は解決しなかった、と考えることも可能じゃないか、と思わせるから。
そう考えると、妻の死に方の一見シャマラン的な設定の一つなだけのようなわけのわからなさも、今回の出来事につながっていたんじゃないか、とすることだってできるような気がしてくるし、本屋が間違って入荷した1冊だけあった宇宙人の本(しかもタイトルが`WE ARE NOT ALONE'!)の存在も、叔父さんが野球選手を引退したことも、すべて、出来事の解決のためなんじゃないか、と考えることができてしまう。
メルギブは、最初から、すべては偶然起こったことだ、と奇跡という考え方にあらがっていくけど、物語を通し、最後にはついにものすごい明瞭な形で奇跡を目の当たりにして、信じざるを得ない状況におかれることになる。そうして、結局、信仰をとりもどすことになるわけだけど…
しかし、この、「すべての過去の出来事は、今起こっている出来事の解決のために、起こった」という偶然を否定し、すべては必然であり、奇跡も何もかも、何ものかの意志によるものである、という考え方は、まぁ、なかなか信じがたいものであるが(真向から信じられたらなかなかのものだろう…)、それが信じられてしまう世界が、映画(の中)だと思う。映画では、おそらくすべての物事が、何者か(監督かカメラマンか…その他すべてのスタッフ)によって決定されているからだ。映画の登場人物たちは、自分たち以外の何者か(ま、つまり監督とか脚本家)によって、起こる物事が決定される。
メルギブがいう、「誰か」や、`I hate you!'の`you'が指示すのは…まぁメルギブが神父であることや、『サイン』が信仰を取り戻すまでの物語であること、ヘイトの叫びが行われたのが「さいごの晩餐」(ここのメニューを決める時の…`sounds good'がおもしろい)であったこととかからも考えて、「神」とするのが普通な感じだけど、映画の作り手と考えることも可能だと思う(じゃあその作り手を作り手たらしめたのは誰か…とか考えると一気に深淵に入っていくことになっちゃうのが『サイン』のすごいとこだけど)。すべてこの家族に起こることは、その作り手たちが決めたことだから。運命(この言葉自体があいまいだとは思うけど)は、彼らに認識できる彼らの「神」ではなく、彼らが認識できないシャマラン(もしくはシャマランの神…)によって決定されている。
ものすごい当たり前なことなんだけど、その当たり前な事実を、観客が認識するのと、なんというか、メルギブが、何者かの存在、そして彼らによって出来事はなされていくということを認識するのが、重なるように、この映画はできている。「見る」を与えられたメルギブは観客なんだ。
そうなると、例えば、家族の4人が映る時の気持ちいい並び方(全員が重ならずに映る…例えば車の上で宇宙人からの電波をキャッチする時の連なる感じ(ここよかったなぁ…)とか、メルギブが畑から慌てて帰ってきて椅子に座り、手前にはホアキン、奥に子どもがいて、みんながメルギブのとこに集まってくる時とか…)や、メルギブがレイ(シャマラン…)が閉じ込めた宇宙人を見ようとする時、包丁に姿を映そうとするのとか、が、見ていて最高だなと思えるだけじゃなく、あまりに出来過ぎのような気がして、すぐ、いや出来過ぎなのは当たり前なんだけど、と思ったりする…というわけのわからん考えにとりつかれかける。

・壁紙がかわいかった。
・ボーもかわいかった(おどりとか…遅れて「なんでモテないの?」って訊くのとか)。
・「ビンブー?」「バカにしてるでしょ?」「名前言っただけだよ…」という件がコントだった。
・aloneとNOT ALONEの対比。メルギブたちは、誰かに見守られている(「神」に?「シャマラン」に?「観客」に?)
・レイのとこを訪問する時。メルギブが、ドアの前に立ち、ドアを開けるまで、のカメラの動きが、常に、何かが起こる=映りこむんじゃないかと思わせるものだった。
・水嫌いがわかるくだり(レイの発言…「湖に行く」!)のあっけなさ。そして宇宙人が現われる時のあっけなさ(やられる時のあっけなさ…いやーここ最高)。重要なことほどあっけない。そして、テレビのコードが必要以上に不気味に登場する、こっちは、ほんとどうでもいいのに。バランスのおかしさ。
・「小説の`宇宙戦争'だ」という発言。視覚について。
・西洋の家の間接照明の感じ(すみっこに必ず暗がりができる)。そして懐中電灯。
・なんか、ながいシーンがあるにも関わらず(メルギブのアップ?とか)約100分で終わるのはすごい。
・シャマランのテレビの使い方。即世界へつながる感じ(黒沢清?)。グリーンマンのVTRの登場もやばかった…。
・知識、の現れ方。大抵誰かがベラベラしゃべってる。