ザック・スナイダーウォッチメン』を渋谷で見た。
でかくなって仕事したり、ベトナム兵を殺したり、分身してあれしたり(2人割いたり)あれしながら仕事したりするDr.マンハッタンに釘付けだった…。自分で額の印書いたり…。
男性のヒーローはみな顔に何らかのものをつけて隠しているけど、女性は隠していない(だから顔を出し「顔を売る」ことが経済活動(になったオジマンディアスのよう)にはならない)。だからコスチュームについてもなんらかのひっかかりをもっている男性たちと違いシルク・スペクター2世=ローリーは冷静な発言(母が同じものを着るよう望んだから)をする。着なきゃだめだったナイトオウル2世=ダニエルが着た途端に(着てヒーロー的行為をした後に)できるようになるというのは単なる変態なのかもしれない(相手に着させたい)が、男は自己が確定しなければしたいこともできない、顔が二つあるという不安定さに耐えられない、ということなんじゃなかろうか。それはそれとして、ロールシャッハはかっこよかったけど。しかしあの窓にのっかるのも、ロールシャッハテストのビジュアルが何度か登場するのも、最期の姿も、コミックのすごさなんだろう。Dr.マンハッタンに殺された人間が天井にはりつく(そして骨というか筋が垂れ下がる)のや、ビッグ・フィギュアの手下の腕が切られ断面がもろ見えなのは最高。あとオープニングが、ボブ・ディランも含めて、かっこよすぎてテンション上がった。サントラで言ったら、埋葬のシーンのサイモン&ガーファンクルもよかった。映画館で聴くとことさら良く聴こえる。
それと雨。CGっぽい雨はやはり薄気味悪いな。
偽史的な面よりもそこから先、の話がメインだった気がする。
スローの使い方(『300』)。一つの画面がそれ自体でいて前後との(偽の)つながりを見せる、のではなく、一つの画面がそれぞれでただひたすら完成し続ける(コメディアンの落下)。つまり、どのような詐術を容認するか、ということ。細切れにし「スピード感」を演出する詐術か、そんなことはしないただひたすら映す、起こったことが見える詐術か。相手への投げ掛けのふりをして実は全然噛み合うはずのない会話の詐術か、投げ掛けに見せかけて実は投げ掛けのふりすらせずひたすら自分の意見ばかりを表明する会話の詐術か。
火星に作ってたあれ(時計?)とかオジマンディアスのそばにいたあれ(キメラ?)とかが何なのか、という説明はなかった。

金井美恵子『目白雑録3』を読み終えた。伊藤たかみとか石原慎太郎(これはレギュラー)のがおもしろかった。