木村覚『未来のダンスを開発する フィジカル・アート・セオリー入門』読む。
居心地が悪い、違和感、合わなさ、の重要性を思う。
それは、空っぽな、しかし、形が決まっている器としての自分に、外部から、他のもの(の意志)が注ぎこまれることによって起こる。それは拘束であり規制である、自分への(それが自主的で?あれば尚更)。
(しかしここには意志がある。自分で選ぶということがある。それが完全になくなり、外部にすべてゆだねるのが「電波」だろうか)
それがおもしろい、のはなぜか。本人はおもしろいのか。少なくとも心地よくないのか…行為自体(のみ)のレベルにおいては…。