足早に見た映画まとめる。
リッチ・ムーア『シュガー・ラッシュ』見た。

いやー、AKBのエンドが、当たり前なのかもしれないが、映画館で聴く用にミックスされていて、よかった。全然印象違う。まるで洋楽っぽい、といったらいいのか。
自分ではない何者かになろうとする、それをここではないどこかへ逃避することで成し遂げようとするラルフと、自らの意志に反して別の何かにさせられてしまったヴェネロペ、という関係性がまずあり、さらに、ディスニープリンセスの構造(お姫様と、外部からやってきて彼女を救う王子)の変奏にもなっている。
ゲームの世界において、記憶=設定の改ざんを為す者が強い、というのもおもしろかった。そして、決められたルールを逸脱することによってそれに対抗しうる、というのも。
しかしあの、食べ物のイメージを、無機物にあてはめたり、違う生き物を混在させたりするの、生理的にちょっと気持ち悪かったなぁ…。
それにしても、やっぱ原音で見たかった。作中の日本語テロップの作りも雑すぎて泣ける(手書きフォントとか、せめて元の見た目に寄せてほしかった…)。

デヴィッド・クローネンバーグコズモポリス』見た。

ATMの前にリムジンが止まってる時に、ポール・ジアマッティがいたのは気づいていて、ああここで絡むんだと思ったらスルーされて…。で、終盤に出てきて、、その時のことを、ロバート・パティンソンくんは言及するの(つまり気づいてたよ、という表現をするんだけれど)、正直蛇足、というか。
前立腺のゆがみ、についても、そこに何か意味を付与されているのはわかりきってることで、最後に解釈を説明しなくてもいいんじゃないか。
なんかそういう、最後にある程度結論を用意する、というのは、まぁ親切な反面、どうでもいいような気がする。延々と、パティンソンくんが、入れ代わり立ち代わり現れる人々と対話し続け、しかしそこに答えはなく、何かを表現するようでせず、…なんにせよ、言葉に重きを置くと、こういうことになるのかもしれないな。
でも、この映画を見た後、新宿の街に出ると、すげー陳腐な言い方だが、風景や人々の見え方が変わって、ああこういうことか、と勝手に納得した。そういう効果のある作品。
それって、ストーリーによるものもあるんだけれど、それよりもむしろ、映像。あれはビデオで撮っているからなのか?スチールのような、鮮明さやはっきりした感じで、言ったらなんだけど、映画っぽくない。それがおもしろかった。車の中と外、の接続の仕方、とかも気にして見ると興味深い。ほぼ合成なんだろうけど、ふと、外部とつながる瞬間があったりして、揺れや音とか(コルク版…)。

アンドリュー・ドミニクジャッキー・コーガン』見た。

オフビートな会話、と、美しくかっちり決まった構図(2人のチンピラが道端で話すカットはかっこいい)と映像、執拗な暴力描写、ギャング映画への目配せ(レイ・リオッタジェームズ・ギャンドルフィーニ、つまりスコセッシとトニスコ)、といった要素が、歪に組み合わされているが、最終的には、政治と国家(もっとも強いやくざの話、汚らしい星条旗)になる。
例えば、賭場襲撃のくだりや、レイ・リオッタ待ち伏せする真夜中の駐車、バーで襲撃犯を「尋問」するブラピ、娼婦を帰した後のホテルの一室、車中での懇談、といったシーン、何か「良くないこと」が起こりそうな、暴力や破滅の火種の予感に満ちたシーンがあるが、何も起こらない、という寸止め感を延々味あわされる。

と、振り返ってみて、やっぱり『コズモポリス』と『ジャッキー・コーガン』、似てるわ。これに『ホーリー・モーターズ』を加えてもいいかもしれない。しかし映画的やばさにおいて、カラックスの一人勝ちだけど。