北野武アウトレイジ』見た。

まず冒頭の車の一群と親分待ちのヤクザたち、の画がピントがあっていなくて、でも完全にというわけではなくスクリーンの中心に人物が来る度に合いそうで、合わなそう、といった風になり、それはそこにいるのが杉本哲太であろうがビートたけしだろうが変わらない。そのぼやっとした映像に、一瞬自分の目が悪くなったように感じ、見えにくさにいらいらする(一方室内の親分たちは普通なわけで)。外の、ばっと引いた時に車とヤクザたち全体、そしてそれと共に映し出される背景の木々の緑。そういやこうした濃い緑が多く登場する、というか目に付く。ドラッグ売買が行われる住宅街、道端の街路樹。イメージに残るのは、考えていくと、なんとなく、東京でいえば世田谷のような感じ。あの学校なんかも。店がなく、人通りもなく、あるのはマンションと一軒家。そして当然のごとく現れる海。あくまで一景色として眺める灰色の海…すばらしかったのは椎名桔平が連れてこられる海沿いの道路。道路、壁、海、空が、違う色なのに質感が塗りつぶしたように同じ。その直後車がゆっくりと現れカメラが引くと、もう違ってしまっていて、風車がてんてんとある。千葉か?いや
、エンドロールにでてたとこからみると、神戸かも。この場面、水野を載せた車が到着した時、カメラは、車を左に位置させる。しかし、車から人が降りてくる訳ではなく、車内のカットになる。こういう、その後の何らかしかの動きを収めたいわけじゃないのに、なぜかカメラが片方によったり、ずれたりする、ということがある。それと関連しそうでしないが、タイトルの出方もそうだろう。そりゃあ確かにかっこいいが、あんな動きするなんてあるか。別に車がただ走り去っていくだけの時に。
石橋蓮司とか大使館員(加瀬亮とのからみ!)とか、劇場でも笑いが起こっていて、それはそれとして、三浦友和の最後の格好はあれ、…。おんなじ格好って…と思った。ヤクザのベタさの笑い、ってのもあるが、つまりベタすぎてっていうやつ、果たしてすべてマジでやってんのか、すべて違うのか、それとも差があるのか、考えるほどにわからない。小日向文世がいっぱい仲間を連れてきてる時のポカーン顔とかも、…間は確かに笑いの間なんだけど。
あと暴力、殺し方は、さすがにヤバいのもあって、新幹線の中のサイレンサーとか(サイレンサー見ると、「絶対」殺される、って思うし、その「絶対」度の高さが良い…とはいえ、絶対度といえば『ディパーテッド』のマーク・ウォールバーグだよなぁ)、無論桔平とか、手榴弾とかもすばらしいんだけど、どうせレイトつくんだし、ワンカットで、…とちょっと思ってしまった。無理なんだろうけど。でも桔平の時のように見せ方やCGで、ワンカットっぽく全部映すのもありなんだし…。それとやはり、気を落ち着けて、リラックスしてる場面での暴力というのが、一番恐怖で、痛くて、笑えて、たけしさんは好きなんだろうと思う。あの黒人の大使館員は、どんだけ部屋でひどい目にあってんだ、っていう。
色んなことを加味して考えて思うのは、死体を埋める時、『アウトレイジ』では半ばギャグめくスコップが登場するが、『ヒーローショー』では、ショベルカーが現れ、埋める下りも細かく(まさしく「In Detail」)、ここにまさしく、今回多く比較されることになるであろうこの2作品の端的な相違がある。あとは車とか(外から車内へ、と、車内から外への視線)、夜および野外とか(実は意外とない、のと、夜の野外に事態が進行すること)。
そして何より、映画が終わった時、出演してる俳優が良いと感じたい。加瀬亮はいい、…。
ドゥルーズ『批評と臨床』読む。母親=生と父親=言葉=分裂=知は、対立するがしかし、最終的には区別がなくならなくてはならない。それが健康なままで外へゆくこと。