ニコラス・ウィンディング・レフン『ドライヴ』を見た。

車を構成するものとして、硝子と鏡、が出現する。窓から差し込む光は、ある時は鋭く車外を見つめる男の表情をいささか強引に露わにし、ある時は、微笑み視線を交わし合う男女と子供を優しく包み、バックミラーやサイドミラーをきらめかせる。前者が夜の暗闇に放たれる信号機、サイレン、街灯、ヘッドライトならば、後者は盛りを過ぎ、オレンジ色を帯びた太陽光である。
しかし、(「5分」のルール、ただ運転するだけ、というルールによって守られる)静謐さと平穏さを保つこれら車中に対して、車外は、暴力と残酷さに支配される。車の中から外へ、という運動によって、物語上で、不穏な展開が進行する。
そこにおいて、その不穏さを映し出すのは鏡である。車中のそれと異なり、洗面所では、血塗られた出来事が、その表面に現れる。
ルールが破られた(破らされた…いやしかし、「仕事」を引き受けた時点で、ドライバーはすでに「車外」へ出てしまっていたのかもしれない)ことによって起こる、凄惨な暴力の応酬はやがて、主人公を、哀切な結末へともたらすだろう。そうして再び、静寂の車中へと戻り、街を去る。
セリフの間や、爆音の音楽による描写のすっとばし、スローモーション、飛び散る血液、…いささかアンバランスでしかもセンスある映像の連続だったのでとてもよい映画。
にしても、ここまで集中して見て、ライアン・ゴズリングの発声の微妙さはすばらしい。キャリー・マリガンもそういう俳優であるがゆえに、その淡い発話のやり取りは、ハリウッド映画らしくなくなっていた。

新津保建秀『\風景』(実際はバックスラッシュ)を見て、「見捨てる/見、捨てる」という言葉が思い浮かび、それについて考えが止まらなかった。この写真集はやばすぎるので、いつか購入したい。

これみんな言ってることなんで、べつに言わなくてもよいのですけど、「幸せの途中」と「Because happiness」(なんか間がおかしいとはおもったんだよねぇ。コールも入れずらいし)のあれ、すげぇ。なんかよくわからんけど、なんでやったのかもわからないけど。しかしいい曲になっていたのがすごい。いつか生で披露する時が来るのか…それが今度のハロコンだとしたら、みんな行くよなぁ。そして、それぞれの単独の披露が行われているであろう、℃とベリの単独コンでは、どうなってるんでしょうね/ジャック・アタリの『ノイズ』が、新装されて出ていたの欲しい/本を欲しがってばっか。読まないのに/