菊地成孔大谷能生『アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界』買って読み始める/村上隆の、ヴィトンとかカニエとのコラボ話が目当てで買った。制作スタイルがまさか読めるとは…こーいうことを訊けるのは、本人もそう思ってるだろうけど、菊地さんだけだろう/《元ネタがありそうな予感だけをちりばめておいて、しかし探しても探しても完全に元ネタはない。という作品》(p199)や、《何を集めてきているのかが全くわからない》、「元ネタ」がわからない作品(p202)といった発想を出してくる菊地成孔は、共通認識とか事前の了解が作品の受容に必要とされるという状態ではないところを志向していて(「ウザい」とまで言ってるし)、それがちょっと意外、…というか二律背反な人らしい感じがした。でもこれを過剰にさせることも否定しそう/斎藤環関係なく、ラカンの話は頭がしびれる。やっぱり買わないとか/くるり『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』聴く。「犬とベイビー」のエモーショナルな歌声にびっくり。そしてジャケ写が京都でないのにも。この学大の写真を見ると、何の脈絡もなく、『カラフル』の二子を思い出す。何とも言えず/全体として、短く聴けた。しかし今までの文脈を越えて、このアルバムについて考えるのはむずかしい(でもそうしないと、自分の場合は、ただの比較論になってしまう)/歌詞は、へたれ(な日本)の表現。《どうすればいい どうすればいい どうすればいい?/ベイビー 俺のこと 嫌いにならないで》(「犬とベイビー」)《喧嘩で負けても相撲で 勝ったなどとは言わせない/正直チキンな僕らは ここで初めて泣くんだよ/いつから僕らは言い訳で 相手を言い負かしてんだ?/さよならさよなら再起動 やり直しはきかないから》(「コンバット・ダンス」)/「温泉」「目玉のおやじ」「レレレのレ」「火垂る」「麦茶」といった単語のセレクトの、日本っぷりの激しさ。そういう意味では、ここにコンセプトがあるのかもしれない/「魔法のじゅうたん」「シャツを洗えば」はまるで疎外されているようだ。タナソウのライナーノーツでもほとんど無視されてる(全然関係ないのだけど、このライナーノーツ、書いてある内容は非常におもしろいのだけど、この文章で知りたくなかった…)/