ジェームズ・ボビン『ザ・マペッツ』を見た。

この笑いを、この量で、日本で見られる機会は少ない。ディズニーと、シネマイクスピアリ(もうここでしかやってなかった)に感謝したい。
こういう映画について、何か語る事は難しい。『幸せへのキセキ』もそうだったけれど。それはわかっているが、何か言葉にしないといけない使命感だけはある、という感じ。なんだそれ。
テレビ番組であり、舞台でもある、「マペット・ショー」、は、ロスのマペットスタジオにて、収録、放送され、そのスタジオは、アミューズメントパークとして公開されている。
そのスタジオを、物語の主人公である、人間とマペットの兄弟を中心とし、再び仲間を集めショーを再開し、それをテレビで放送して募金を集めそれを資金とし、買主から奪還するまでを描き、その経緯の中で、ママペットであるウォルターは、視聴者からあこがれのマペット・ショーの出演者へと移行してゆく(この映画自体の外枠にも言及するメタ構造も存在している、それは、常に視聴者=鑑賞者を意識する発言として現れる)。
虚構と現実、内部と外枠(その作品を作品たらしめている造り)の境目はあいまいになってゆく。
それは、ミュージカルという手段を用いていることにもかかわってくるだろう。普段の生活と突然歌い出すことという、相容れないものを混在させるこの方法が、この映画には存在している。もちろん、マペット・ショーでは、歌い、踊るわけだし。
つまり、映画の構造や、その中で、採られている表現方法(カメラワークも含む)が、有機的に絡み合う、互いが互いを必然的に求めあっている。
…それが、感動する、…というのとは別に、笑いと歌と踊りと友情と愛情の力が感動を呼び起こしているわけだ。
そして、エイミー・アダムス(の出ている映画にはずれなし)とエミリー・ブラントの軽い共演にテンション上がった自分は、『サンシャイン・クリーニング』を愛しております。