ロバート・ゼメキス『フライト』見た。

しかし、なにをどう言っていいのか、思わず口ごもってしまうような映画だなー。わかりやすく言ってしまうと(あまり気が進まないけど)、非常に宣伝しづらい作品、だと思う。《ハリウッドの頂点に立つ名匠と名優が贈る、衝撃と感動の物語》(公式ホームページより)って、まぁ確かにあってるんだろうけど、っていう。
それより、このフレーズに、何か足りなさを感じて、考えてみる。すると、ここには、衝撃と感動の「実話」、というのがなければいけない、ということに気付く。ことに最近の(と言うには余りに長い時代の)風潮からするに。
「この手の」物語が、実話ではなくて、フィクションであるということ、が、返って反時代的というか、異常さを醸し出している。
幾つかの要素について考えてみる。
死者に対する振る舞い。それは決して彼らを貶めるものであってはいけない。
神、について。誰しも思うことかもしれないが、漂う説教感(それは親父の説教、というたぐいのそれではなく、協会での語り、カウンセリングの語り、を思わせるものであるが)、宗教っぽさ。副機長の病室で起こる出来事に、見ている自分としては、あからさまに違和感を感じて、勘弁してくれ、という感じだったのだけれど、ウィップが、思っているほど、そういう拒否の姿勢を出しておらず(思えば彼は、断酒の会に、少なくとも足は運んでいたわけだが)、とはいえ逃げ出してしまう、のだけれど、終幕の委員会の公開答申で、決定的な告白が起こった要因を彼は刑務所で、神の、運命の、仕業だった、というようなことを述べてしまっている。
思えば、ホテルの一室から始まり、操縦室、病室、レストラン、オーナーの会議室(『マネーボール』や『人生の特等席』を脈絡なく思い出す…飛行機より野球!)、断酒会の集まり、最後の事故調査委員会、と、より大きく、より多くの人間の目につく場所へと移動していく、そのなかで、何度も告白の、「告解」を為す瞬間はあり得たはずなのに、それを逃し、もっとも、ダメージの大きい、しかし、もっとも解放されうるタイミングで、それは為される。
この過程、の、映画内で規定されている原因は、「何の関係もない」飛行機事故だったわけで、そんなものが生み出してしまう告解は、神の、運命の御業なのだろう。
しかし、改めて考えてみて、この、内容のあまりに遠くへ飛ばされてしまう感じ!尋常じゃないリアリティのある事故の描写から、"I'm an alcoholic"、へ、という物語は、やはり現代の、今の時代に製作された映画としては、最高に狂っている、と言いたくなってしまう。暴論かもしれないが、ロン・ハワード『僕が結婚を決めたワケ』に通ずるやばさ。
デンゼル・ワシントンと、ドン・チードルって、共演したことあるんだろうか。なんか、心がほっこりするキャスティングだなぁ。
この映画のケリー・ライリーといい、『アウトロー』のサンディ=アレクシア・ファスト、といい、蓮っ葉ブームくるでマジで。

日本にね、来られていた、ということで…。咲ちゃんうらやましいわぁ。