北野武アウトレイジ ビヨンド』見た。

作中で北野武演じる大友が出所するシーン。最初に映し出されるのは、大きな壁。カメラはそこからゆったりと動いて行き、およそ180度逆になったときまた止まり、今度は壁だけでなく、刑務所の出入口も捉える。
が、ある風景から別の風景への視点の移動、が、カメラの動きによって成されるというのは、少ない動きで撮す対象を変更できる範囲であるならまだしも、このように、真逆へと切り替わる際に使用するのでは、まったく「効率的ではない」。例えば、この移動の間に、撮られるべき事象があるのならば別だが、ここにあるのは、最初に走り去るスクーター、そして壁である。
北野映画のゆったりしたフェードアウトもそうだし、インタビューで、監督は、編集の際に、会話の間を大分詰めて、スピーディーにし、120分に収めるよう苦労した、と語っていたが、がんがん残っている(大友と、花菱会との対面のシーン。「なめとんのかワレ!」「…なめてねぇよばかやろう!」の間に正直笑った)。
これは一体なんなのだろうか。いや考えてはいるのだけれど、まだわからない。
それが北野映画の時間の流れ、といってしまえばそれまでなのかもしれないが、しかし。
前作の玉突き事故のような連鎖的ストーリーの進行とは違い、今回は片岡刑事の暗躍によって、物語が進む。しかし暗躍と言うにはあまりに表に出すぎている、ばれすぎている。
我々の視線は、至るところで、そのすべてを見届けているから、誰が嘘をついて、何を隠して行動しているかはわかった上で映画を見ている。
松重豊が、片岡刑事に「なにやってるんすか?」とため息交じりに問うとき、我々も同じ疑問を抱いている。お前は何をやりたいんだ?
やべぇ、どっちらけになってんな…。いやまだよくわからないんだよな。
JOJOmenon』と『SWITCH ソーシャルカルチャーネ申100 The Bible』(無論女子流×マルチネが目当て…しかし虚淵さん出すぎ)と米田達郎『リーチマン』1巻(こういう細部描写に弱い…)を買った。