朝から映画見ようとしたけど見事に起きれなかった。とりあえず渋谷のタワレコで、Photodisco『言葉の泡』とhaikarahakuti『THIS LOVE IS THE MESSAGE 』買った。タワレコなくなったら困るな。とはいえ、ブックファーストの時もなんとかなった(なんとかなってる)から、問題ないのかも。
和幸でとんかつ食べ、東京オペラシティアートギャラリー「写真力 篠山紀信展 THE PEOPLE by KISHIN」見にきた。行列できてた。

篠山さんにすごい興味があるわけではない…とはいえ、AERAダヴィンチとB.L.T.とBRUTUS、の連載を毎回チェックから、その時点で毎週毎月、見続けてきていると言えるのかもしれない。
巨大に引き伸ばされた写真は、何枚かに別れて印刷したものを繋ぎあわせたもので、その繋ぎ目が認識できる。さらに、一枚一枚に、作品情報を示すようなパネルが存在しない。美術作品として展示する際の枠組みみたいなものが無視されている。
ポスター…でもそこには知らしめる情報=広告がない。いや、撮影対象の人々が何よりもその情報そのものだとしたらどうか。
その人自体を、ただ彼、彼女、そのものだけを、「そのものが在る(在った)」ということのみを表している。
それぞれの作品(と、当面は言い表すしかないのだが…)は、撮られた意図も時代も公表された媒体もサイズも異なるが、こうして、一つの目的のために「引っ張り出され」(おそらくここに至るまでに拡大や、トリミングなどの、加工を受けることを経ているのだろう)、掲げられる。
こうした過程を持ち人々の視線に晒される写真というものを、我々は既に知っていないだろうか。
思いついたのは、遺影だ。
それは、多くの場合、すでに撮影された(当たり前かつ驚くべきことだが)ものから、作り出される(捻出される)。 その第一目的は、亡くなった人物を、その場所に、顕すこと。でしかない。
今回の展示物は、「鬼籍に入られた人々」(GOD)も当然、生きている姿を撮影したものである。しかし、そこに忍び込み、充溢する、死のイメージはなんなのだろうか。それでいて観者=生者に、不吉さや不穏さを与えるものはない。からっと晴れ渡る、まるで生前に撮られた遺影のようだ。
背景の仏壇や、天井近くに飾られた写真、テーブルの上の花、布で覆ってある鏡、のなかで座る美空ひばり、の写真は、私の視線を異邦者のそれに変化させる強度を持ち(それが普遍性なのだろうか)、まるで、南米もしくは南アフリカで古来より伝承された祭祀や葬儀の風景のように立ち現れる。
そのあと、所蔵品展と、榎木陽子という人の展示を見た。
所蔵品では、ミロスラフ・ムッシャが良かった。風景のある一部分の拡大の構図を、淡い色同士が隣り合い構成している。榎木陽子もよかったのだけど(パンフの文章読んでわくわくした)、篠山さんで疲れてうまく集中できなかった。美術作品を観るのはむずかしい。何度も繰り返し見ながら考えながら動くので、体力的にも精神的にも疲労する。



オペラシティ(…しかしこの名称はなんなんだ?)で撮った。

図版、は買わずに、美術手帖の「写真2.0」特集(トーマス・ルフ、トーマス・デマンド、新津保建秀という組み合わせ)と林道郎『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない サイ・トゥオンブリ』(単純に面白そうだったので)を買った。ポストカードあれば買ったのに…。
十二杜の大勝軒でつけめん食べながら(食いきれなかったけど)、シルシルミシルさんデーを久しぶりに見た。河本って干されてるわけじゃないんだ、とか、マツコはテレビの住人と化した、などと思った。
新宿まで、カップルの男女の顔眺めて感慨にひたりつつ歩いて、途中で鳥居みゆきに似た美人を発見したりした。こういうのは見つけるのが楽しいんだよね。

それから、またタワレコ行って、新しくできたアイドルのコーナーを見た。松井寛鈴木Daichi秀行大久保薫、などと、編曲者・作曲者別に棚を作ってあり、熱意を感じる。渋谷にもこういうのできてほしい。
あとハマケンのインストアイベントがあるようで、本番前のリハをやっていた。音だけ聴いて、ギター弾けるんだと思って見てみたら、ギタリストは別にいて、やっぱり本人はスキャットだけやってた。
ここでは、『KANYE WEST PRESENTS GOOD MUSIC CRUEL SUMMER』を買った。ルーペ・フィアスコとフライング・ロータスはやめた。あまりに買いすぎと判断したため。
で、アダム・シャンクマンロック・オブ・エイジズ』見た。

えーと最高です。
歌ってる時にガンガンカットがわれていって、そこでリップが正直あんまりあってなかったのが気にはなったけど、そういうのは度外視して、動きの方を優先してるんだろうというのが伝わってきた。
そして、ハリウッドの俳優はみな、当たり前のように歌えるという事実を再認識。ポール・ジアマッティすらも…すらって失礼だが。
ストーリーは、ベタに次ぐベタ、ベタの応酬。「本当の自分」を、若者たちはまだ得ていないから探し求める(そこには回り道、紆余曲折があって当然)、大人たちは実はそれをすでに手にしている(していた)のだけど、何らかの理由で仕方なく手放して(隠蔽して)おり、そこに再帰する、物語。
解放、自分のすべてが統一される(され得る)、そしてそれが「一番良い」、という、アメリカのショウビズ界が強迫観念のように推し進める思想。
コンスタンスは、『ウォッチメン』のシルクスペクター二世だな…。
劇場で、期待の新作続々の情報…。ベン・アフレック『アルゴ』(もうすぐじゃん!全然知らなかったよ…)、トム兄の『アウトロー』(邦題やべぇ)、ゼメキス×デンゼル『フライト』など。