ゲイリー・ロスハンガー・ゲーム』見た。

しかしねー、ジェニファー・ローレンス…。なんて魅力的なのか。すこしぬけたような顔の造りもあるけれど、はっとする凛々しさと美しさが満ちている。
見られること、にまつわる描写の徹底っぷり。見られることによって(「見られること」を過剰に推し進める/推し進められることによって)、事件は進展し、危機を打開し、現実に影響を与える。
そして、主人公カットニス自身のものと、その他の登場人物の視点をスクリーンに表現するときの差異。彼女の見る世界は、他の人々のそれとは異なる。まるで、森の中で、一人だけ違う眼を持ち行動していることと同じであるようだ。
見ること、と、見られること、はほんと定番中の定番の映画のモチーフだとは思うが。
エスター』の子とか、『ザスーラ』の兄ちゃんとか、クリス・ヘムズワースの弟とか、なぜかレニー・クラヴィッツとか、スタンリー・トゥッチドナルド・サザーランドエリザベス・バンクスウディ・ハレルソン、と羅列してもしょうがないんだけど、まぁ要するにキャスティングもつぼだった、ということです。

国立新美術館で、「与えられた形象―辰野登恵子/柴田敏雄」を見た。

人工物は、声高に主張するでもなく、果たすべき機能を果たし、ひっそりと存在する。自然の中に侵入し、擬態しているかのようだ。
見ていくうちに、自然もまた、人工に擬態しているのではないかと思えてきた。
というか、その両者を明確に区別する、差異すらも曖昧になっていく。
柴田敏雄の写真は、ニュー・トポグラフィックスだろうか。ちょうど日高優『現代アメリカ写真を読む』を読んでいたので、非常に自分の中でだけどタイムリーだった。

そういや、平山夢明『ダイナー』買って読み終えてたんだった(一晩で読んだ)。
クライマックスの大乱闘がひどかった(そう、描写について感じるのは、平山さんの作品では初めてかもしれない)。狂人、命乞い、人体損傷の描き方は最高。
そういや『アウトレイジ ビヨンド』見て思ったこと。すごいウェットでメロウな映画だと感じた。親分子分の関係や、ヤクザの仁義など、前作ではひっこんでたものが強調されている。
そして、見ている時、「たけしさんも、下町出身なんだから、ヤクザ、と来るなら次は在日だよなー『血と骨』みたく」とか頭によぎった拍子に出てきたので、さすがーだなぁと思った。