スティーブン・ソダーバーグマジック・マイク』見た。

なんというか、思っていたようなものとは違い、切ない映画だった。
何かを見つめる人物の表情、について。
印象的なのは、マイクのパフォーマンスを見るブルックと、仲間たちの騒ぎを眺めるマイク。2人が、対象をじっと見つめる姿が、体感的にかなり長く使われているのだけれど、その顔に、はっきりした形での感情の表現がなされていない。半ば呆然としているかのような、わかりにくさが在る。
反面、今回も最高としか言いようがないマシュー・マコノヒーが、演じているダラスという役で、キッドの初めての舞台――といって、ただだらだらと服を脱ぐだけなのだけれど――を見ているシーンで、最初はただ目をやっているという感じなのだが、次第に、ステージの上の新人に、何か光るものががあると感じ始める、という記号を、その顔の上で表現している。
もちろん、この、ある種はっきりとテンプレートのごとく、野望にぎらついたストリップ劇場のオーナー、というキャラクターにおいては、この演技は正しい(しかし、もしかすると、ソダーバーグは、このワンショットですら、「わかりにくくする」ことを試みたかったのではないだろうかとも思えてきてしまう――無論それは、マコノヒーの強烈な演技メソッドにかき消されてしまったのだが)。
それに、このような過剰さがあるからこそ、かえって前述の2人のような曖昧さが際立って感じられる、とも言える。
面白いのは、この、なんともいえないぼやっとした感じ、が、キャラクター造形にも使用されていることだ。
ブルックとキッドの姉弟はそうだと言えるし、主人公であるマイクも「エモーショナルでなさ」といったら…。キッドから、謝られているのになぜか馬鹿にされる、というシチュエーションですら、激昂せずにただ聞いているだけだ。このシーン、こういう言い方が適切かどうか、とても「日本的」に感じられた。チャニたむ(チャニング・テイタム)やるやないか、と。「新聞読んでるよ」発言も、まぁ素直にとらえればこいつばかなのか、ということなんだけど、ジョークで言っていると好意的にとりたくなるの完全に彼自身の魅力だと思うけどどうか?(言いすぎ)
まぁ、それを言ったらブルックを演じていたコディ・ホーンの佇まい、突如見せる馬鹿笑い、リアリティあって素晴らしかった。

劇中何度となく登場するストリップに対する感情が変化していく。最初はともかくびっくりして笑い、次第にエンターテイメントとして消化できるようになるが、最後には不思議と切なさを感じるようになる。
ソダーバーグの、一定の距離をおいた、感情に踏み込まない(演者に対しても、観客に対しても)カメラワークや、ほぼ動きがなくしれっと為されるワンカットが、物語の冷静さ、行われる享楽が刹那的にすぎないということ、を強調する。

個人的には、女子寮に出張営業するシーンで、はしゃぎまわる女生徒の姿の合間に、奥の部屋にたまっている男子生徒を適宜とらえるという、完全に後起こるトラブルを予感させるような構成、上手いと思ったし、ぶちぎれる男子のセリフ、字幕ではフォローしていなかったけど、耳で聞いた限りだと「ex-girlfriend」と言っていたように聴こえて、ちょっと…ってなった。