リドリー・スコット『最後の決闘裁判』

最初、chapter 1の編集があまりに小刻みすぎて、余韻もくそもなく感じ、これはちょっとなぁ…と思ってたら、2に入っていき、尻切れトンボなカットが、繰り返されて積み重ねられ、観客=自分の中に蓄積されていくような感覚を味わい始めると、じわじわと、本作の捉え方・見え方が変わってくる。その映画というメディアゆえの作られ方に感じ入ったりもした。
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ピエールの初登場シーンで、かしずくカルージュにあからさまに不快感を示すベンアフの顔の演技があまりに"アメリカ"すぎるだろ!と思いました。というかその後も基本そんな感じだし、14世紀が舞台の映画なんて久々に見たもんだから、まず初歩的なところでつまずいて…英語(人名とか地名とかフランス関連の固有名詞を言うから余計に気になるよ!歌はフランス語だし!)とか…そんなことハリウッド映画に言いたくないけども…あと14世紀の兵士はあんな喧嘩殺法なのか!?とか…ってつまり出演者がみんな現代からタイムスリップしてきた人たちみたいに見えてきたってことかと。あと遠景の合成っぷりもすごいよ(超引きの画で、フィックスだから気になるのか?)。でもその見え方にはそれなりに意味があるのでは?扱ってるモチーフは極めてアクチュアルなわけだし(強引)。とかなんとか言って結局私も(てか誰1人)14世紀の人間が実際にどんなだったか、どんな動き方、喋り方、表情をしてたかわからないわけだから、でまかせでもいいんでしょうけど。でも資料文献として残されている人々の考え方とか、価値観は再現できるんですが。そしてまさにその「価値観」が本作のテーマのひとつでもあるかと。何に重きを置くか、何が軽んじられるか。そしてそれらは現代と違うのか?それとも?という。
あと印象的なのは、裁判の時のマットの面!あのとりつく島もない感じの、話が全然通じない感じの顔…コワッとなったね。無論現代の俳優においてそれを得意としてるのはアダム・ドライバーなんだけどそれに負けず劣らずだった。アダムよりマットの顔の方が強調しているのは、マッチョなセクシストのどうしようもなさ、変わらなさ。そしておそらくこの映画にはマッチョなセクシストしか存在しないということ。そこにマルグリットという別種の価値観が現れる異様さ。
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それにしても、アダム・ドライバーには、もしかしたら、"キリスト性"とでも呼べる何かがあるような気がしてきたな。本作の終盤で現れる彼の姿はあからさまに"そう"じゃないですか。というか、もちろんスコセッシの沈黙は言わずもがな、カイロ・レンも、『パターソン』『ローガン・ラッキー』『ブラック・クランズマン』『マリッジ・ストーリー』でも、全くありえないことなのですが、彼はキリストだったんじゃないか、と思えてしまった。…まぁこれは最近、岡田温司『キリストの身体』を読んだばっかりだからそう感じたのかもしれない。西欧の表象にはすべからくキリストが潜んでいる……。

あと、ル・グリの横でずっとニヤついてるお前のせいでもあるだろ!!!というメッセージは最後に発しておきたい。