ダークナイト』2回目を渋谷で見た。
カーチェイス、車関係のシーン、はかなりぶつ切り。車と犯人の顔とバットマンの顔、などが、かなり規則正しくカットが並べてある感じ。爆発はあんだけワンカットなのに。
ジョーカーのせりふはどれも好き。いや、長々と説教なとこもあるが(まぁそれはどっちかといえばバットマンか)、これぞ、ということはきちんと言ってる。
「俺の部下はみな将来有望、暴力的」。みんな、若者で、それか、心を病んでしまっている人(おそらくアーカムアサイラムの人々か?)。みんな、そろいの服、とか着てるわけじゃなく、道具も、多分冒頭のピエロマスクも、みんながばらばらに買ってきたやつじゃないか、と思う。だって、車で仲間を1人づつひろっていったんだろうなぁ、ということが想像されるので。なんかこう、集団として新しい感じ。バットマンの言う「ジョーカーに心酔している」とも違うような気がする。
「俺は質素」「俺が好きなのは、ダイナマイト、火薬、ガソリン」「上品な悪党」「金なんかいらない」。まさに!という感じ。すげーアクチュアルな悪党じゃないかと思う。
「陰謀家」と「混乱の使者」。"chaos"「ケイオス」という発音がかっこいい(発音で言えば、アルフレッドの"day"「ダイ」も気になった)。計画をたてがり、結果支配したがる陰謀家。恐怖によって混乱をもたらす使者。
なんか、"You complete me"というような、ジョーカーとバットマンの一心同体な面を強調するようなのは、もちろんすごく面白いし大好きだけど、そんなに新しくはない。
ジョーカーが、取調室で残されて、「警官歴20年」のおっさんと会話し手玉に取る時、ジョーカーは、あきらかに、キャラを演じている。おっさんの言う「犯罪を楽しんでるやつ」、快楽犯罪者を演じている。というか、快楽殺人者か。そうして、おっさんが求めている、痛めつけていい、きもい、くそやろう、の型にあえてはまった。逆に言えば、普段のジョーカーは、もっと、わけわからない理解不能、近づきたくもない、ようなやつだ。おっさんはそういうやつなら無視するだろう。ジョーカーの挑発に無意味さはない。本能と作為の入り混じり。多分ジョーカーは、その狂気の度合いというか性質を相手によって変えてるのでは?相手の本質、というよりも、ジョーカー自身が引き出したい部分を出してくるように、微妙に変化させている。
バットマンの、あの、飛び出すロープ、つーかワイヤーはかかせない。もうフェティシズムの領域じゃないだろうか。今までのバットマンは、新しくなるごとに登場するガジェットも増えていったけど、ノーランのバットマンでは、その数は最小限になっている。でも、あの、ワイヤーは、消せない。
マギー・ギレンホール、は、なんというかその、生っぽい。生、という感じ。
最後の、モーガン・フリーマンの、笑み。
結末を知ると、デントを送り出すラミレスの悲しそうな顔に気がつく。
バットマンクリスチャン・ベール、は確かに、抱えてる闇、があんま強調されてない。でも、平然と昼間の生活を送れる、マスクを取るだけでヤッピーになれる、というのがすでに十分異常、のような気もする。
奥から手前まで、一つながりの空間を映す。銀行、秘密基地(?)。
子どもは、ほんとずるいよなー。でもまた泣きそうになった。



雲の量感。雲自体に重みはないし、おそらくさわることもできないんじゃないかと思うけど、でも見ていると、圧倒的な質感というか重量を感じることができるのは、表面に落ちる影とかのせいで、そういうトリックアートを見る時と同じような感じになるからなのか。

カフカ・コレクションⅠ』を読み終えた。最後の「あるたたかいの記」は、なんというか、ばりばりの現代小説という感じで、語り手が入れ子構造になっている。しかも途中で、妄想とかを入れてる。カフカの、ともすれば、昔ながらの寓話物語ととられかねない(だからこそ油断ならない感じの)ある種古典的な語り口の、多くの小説からは、考えられない。
変な姿勢。変な姿勢で話す。姿勢と精神状態と思考の関係。
身体性の欠如、ものとなる。

マギー・ギレンホールは、服がおしゃれだった。ラウの取調べの時の、おしゃれなシャツとか。うん、あと、1人で縛りつけられている時の、デントをさとすような、なぐさめるような、あの時の感じ。ブルースに対しても、デントに対しても、姉、なんだろうか。