渋谷で『アイアンマン』を見た。グウィネス・パルトロウの微妙な感じ、いわゆるはにかみ的なのが魅力的だった。とか言ってしまってはだめなのか…あれはいわゆる、定型な演技なのかも、と思ったりする。しかしロバート・ダウニー・Jrはやばい。目が…目力がありすぎる…
アイアンマンのスーツが、ガシッガシッと装着されていくのが、まぁ、良すぎる。
あとは、なんていうのか、インターフェース?がかっこいい。スーツ設計の時に使ってたやつとか…ペンを使って、設計図を、パソコンから、製図板というか、設計のための板に移して、そこからその図を、立体映像化して、手で触るようにしていじっていき、しかもそれを実際に、体に装着させたようにして動きを確かめていく…という一連の流れがすげぇかっこいいのだけど、多分実現できそうだなぁ。あとはスーツ越しの視界とかも。肉眼が見たものを特定していく。で、見たもののデータを呼び出したり、見たものだけを、じゃなくて見たもののなかでさらに攻撃対象を規定して、それにだけ攻撃を加えるとか。…っていうか最初から、ホログラムを使って、設計から始めればいいのに。パソコン、つーか画面いらないよなー。

『小説、世界の奏でる音楽』。《(…)私たちは〈空〉というものをイメージしようとしてはいけないのだ。イメージするということは、それは実体的何ものかを付与してしまうという落とし穴に陥ることが人間として避けられない。》純粋な無を思い描くことは不可能、というか、この、「純粋な無を思い描くことは不可能」、という文自体が、なんだか成り立っていないように思われてくる…「無」という言葉に、「純粋」「思い描く」「不可能」という言葉が吸い込まれていってしまう、というか…「無」がすべてを消してしまう…と言ってみても、何かを説明できていない…