ジョイス『ダブリンの市民』を読み終える。「死者たち」は美しい。室内にいて、ふと外の情景を頭の中に思い描こうとする時のリアリティ、内から外へと思考がつながっていく感じというのか、そんなのが表現されていた。あとホテルの部屋での、街灯の明かりが外から差し込んでくる感じとか。しかし解題の悪意ったらないな。ゲイブリエルをバッシングしまくっていた。

フリオ・コルタサルの短篇集『悪魔の涎・追い求める男 他八篇』も読み終えた。おもしろい。読んでいると、明確な境目がないまま、こちらの世界から向こう側の世界へといつの間にか入り込んでしまう感じ。二つの世界(本と読者、演劇と観客、写真と撮影者・鑑賞者、島と上空を飛ぶ飛行機、そして夢と夢見る人)。これらは関係があるもの同士だけど、「すべての火は火」では、もはや一般的な関係ではなく、ただイメージ(燃やし尽くす火)のみで二つの世界を繋げている(どちらかがどちらかを浸食するとかではなく)。「南部高速道路」は、もっと概念的な二世界の入り交じりがある…のでこれが一番おもしろかった。一番意外なとこへ連れていってくれる…という感じ。

黒沢清トウキョウソナタ』を恵比寿で見た。箇条書き。
・照明。人物全体ではなく、常に影が落ちるところがある。最後の小泉今日子は朝日を全身に浴びている。
・ご飯おいしそう。
・屋内では、どうしても柱や階段が写りこんでしまう、のがなんかよい。
・黒須=津田寛治の子どもや、佐々木家の2人は、まるで香川照之のすべてを知っているかのよう。しかも黒須娘は…あのトイレから階段へ移動しながら半身で見つめてるとこが怖い。
・「黒須…お前すごいな」…ってお前がすごいよ。
・家族それぞれバラバラに一夜を過ごす=再生…というのはどうなんだろ?『ニンゲン合格』の、あの刹那の家族再生→優しい視線の交錯、とは…
・ピアノの先生(井川遥はやばいだろ…あの、ショールをふぁさっととってかける動きに魅了される)の激褒め
・階段落ち(狂ってる!ってか死ぬだろ…あ、死んでんのか?そう考えるならば、佐々木家は全員死んでいる…)
・バス乗り場(緑の光と煙!なんなんだ…SFか)
・児嶋先生…気味悪かった。
小泉今日子の眠る姿、夢から覚める姿。美しい。
・しかしうなされてる香川照之はほとんどとり憑かれてる人。
・大勢の人が集まる様子。行列。朝、駅へと向かう人々。増えてくピアノの聴衆。…やはりこれも気持ち悪い。無人ではなく大勢の人を。
・父親の復活、母親の受難(さてあれで済んだのか?)、長男の犠牲、次男の放浪。
・つーか警察!やばい…「大人と同じ…」「不起訴で釈放」…もろ黒沢清な廃屋警察署を後にする次男(小6)…
・あとはやはり役所広司…いいなー。小泉・役所で見たかった。ちゃんとしたことをなんかやんなきゃと焦りでもなかなかそれができないのにそれを人に強要し例え完全にまやかしでも理由を欲しそれが大事だと思う人(香川照之)より、ちゃんとしたことをなんかやんなきゃと焦るがなぜかわけわからんことを1人でがんがんやってしまいそこに理由など求めてないというか理由の存在自体あいまいな人(役所広司)の方が好きだし映画ではそういう人を見たい。香川照之は1人の行動がほとんど単調。次男と小泉今日子(これは役所広司のおかげだろうけど)は1人で行動しても色々事件をまきこませておもしろい。そしてあのセリフ…「俺はッ…馬鹿の上に馬鹿を塗り重ねたッ…!…俺はッ…本当の大馬鹿者だッ…!!」……ここで、ある一つの企画が立ち上がる…原作・福本伸行、監督・黒沢清、主演・役所広司……『最強伝説黒沢』…!