「新潮」に載ってる舞城王太郎の小説を読んだ。物語の劇的な部分を、さらっと書いてしまう。さらっとというか、描写に費やす文章の量が少ない、というか。女の子が、手作り薙刀で襲ってくるところとかが、ほとんど一瞬だった。それにまつわる部分は、さっと通り過ぎて(転校させたりとかして)、MADの話になる(しかも冒頭の小豆のくだりもけっこう長い)。コクーンとかタヌキングとか聖パウロとかに意味があるはず、なんだろう、多分。あと、「尼」と「NUN」とか(柄谷行人かと一瞬思った)。「群像」の清水博子の小説もちょっとだけ読んで、冒頭部分からかなりやばかった。ものすごい圧縮されている。あと『カフカ「城」ノート』も少し読んだ。