ヨーゼフ・ロート『果てしなき逃走』を読んでいる。
《しかしソヴィエトという国には、もくろみと術策と多くの老獪さとが入り混った、大規模で広範囲にわたる、混乱した行政組織がどっかり居坐っており、その中にあっては個々人は隣りのより大きな点と結びついているだけで、大なり小なりの違いはあっても、全体に対して自分がどんな意味を持つ存在なのか全く予感だにできない点にすぎない。ところがそれらの点はきみと秘密の、重要な関係を、しかも極めて密接な関係を保っているのだ。しかしきみはそうした関係を知らない。きみより高い位置にあって、あらゆる関係を知悉している、そのような点も若干は存在する。彼らはいわば全体を鳥瞰する視点からきみを見ている。ところがきみ自身には、彼らがきみより高い位置にいることが見えない。これから先もきみがいまの立場に落ち着いていられるかどうか、きみには分からない。間もなく、もう次の瞬間には別の場所へ移されることもあり得るのだ。しかし決して上からではなく、いわばきみがいま立っている土台から動かされるのだ。》(p77)なんというか、ドストエフスキーとかゴーゴリの小説の中の、組織や制度の描き方を思い出した。そして、このとらえ方自
体がすでにそれっぽい、というか。
16章。ものを羅列的に書いていくことによる列車の中の描写。あと、もう全然関係ない保険についてとか。