金井美恵子の小説には、紋切型、通俗的表現が沢山出て来る。小説、恋愛、映画、生活、料理、人間関係、仕事、女、男、あらゆることについての紋切型。


『快適生活研究』読み終えた。
《(…)私としては、このまま、教師という職業について何かが決ってしまうのがいやだという気持として紅梅荘に部屋を借りたままにしておくのだ、いわば一種の自由の保証として、と、いかにも子供っぽいというか、バカ気たことを言うのはためらわれたのだったが、とりあえず、そうしておけばいいじゃない、と、おばさんが言い、やっぱりそう決めて、(…)》p217-218
《(…)それに幅の狭いフリルがスタンド・カラーと前だてについたラヴェンダー色のポリエステルの小花プリントのブラウスというのは、ほんとにいやだな、と苛々しながら思っていたのだが、(…)》p221
《(…)花子ちゃんに相談したら、桃子はそういうドラマチック系は苦手な性で、なんかこう、ずるずるっと、決定をひきのばしてるのが好きなんで、だから、さっさと向うに戻って地方の女子大の教師になるって決められずに、紅梅荘を一年借りておくような子だから、それは駄目だと思うよ、と反対されちゃったよ、と教えてくれた。》p224
自分の書いた切り抜いた書評のその裏の誰かの書評が《おかしなことに自分が書いた文章と何の違和感もなく、一続きのものとしてつながってしまうことに気がつき、少しオーヴァーだったけれど〈愕然〉という言葉を思い浮べ、その後で、そのショックというかちょっとした気恥ずかしさを多少緩和させるためもあったし、半ばは本気でもあったのだが、思わず吹き出してもしまったのだった。》p234
《(…)自己満足と自己肯定の幸福感に満ちた文章で書かれていて、書いてあることは、たしかに事実に違いないのだが、何かこう神経を逆撫でして不快に軋む違和感があって、まったく違う、と思うのだった。》p239
《それから一年ほどが過ぎ、勉はとっくに地下室に戻ったのだが、送られて来る雑誌や小説の封を開くのは桜子だったので、そのついでにそうした物を読んでいるうちに、ある種の小説について、ごく素直に、これだったらあたしにも書ける、という気がして、そう勉に告げると、そういう反応をするだろうと予測していたとおり、きみなんかに、と、あからさまに嘲笑するということはなく、顔をこわばらせて驚いて表情をしてから少し笑い、そうかもしれないよねえ、確かに、誰にでも書けるよ、と、現在の小説の状況への批評に話を無意識に持って行くので、桜子は、批評家的中立の発言にうんざりしながら、絶対、あたしにだって書ける、と確信し、タイトルは、少し古めかしい気がしなくもないけれど、“knock,knock!”に決めていたし、どう書いたらいいのかも、わかっている、と思った。》p254-255
純子、花子(本名じゃないけど)、桃子、桜子、愛子、絵真、綾という女性の名前。
中野勉、アキコさんのバランス。