トニー・スコットマイ・ボディガード』をDVDで昨日見た。
トニー・スコットデンゼル・ワシントンミッキー・ローククリストファー・ウォーケンで、もう外れなし…。
日常がかなりの部分占めているんだけど、そこにあの早く切り替わるカメラ、チカチカな感じ、ぶれ、といったやつをあてはめていくと、どうなるか、というのが見れる(とはいえ、相変わらずのテロップ?とかオープニングはきまっているんだけど)。ある種、狂っているという感じ。クリーシーが狂気というか、過去に苦しむくだりなんかは、スピードが強調されるようないつもの感じではない。
クリーシーは瀕死の重傷を負った後、復讐していくわけだけど、果たして全快しているのかといえばそうではなく、どうやら傷がふさがっていない状態で行動しているようだ(退院というか、ほとんど無理矢理出て来た時、黒と、少し赤が混じったトライバルな模様のシャツを着ていた)。しかし、それによって苦しむという描写はなくむしろ生き生きと、残酷な「死の芸術」を完成させていく(指切り、体内爆弾なんかがくそやばい)。ただプールに飛び込むシーンで、傷口から血が大量に流れ出しているが、これが実際にあったことなのかどうかはわからない、幻想的でさえある。…というか、クリーシーはすでに死んでいるのかも、と思ったりする。
プールでのダコタ・ファニングとのイメージの重なり合い、その前の雨の中での目撃(する/される)、…水か(クリーシーは涙や血を流しながら水の中にいる)。同じ水を共有することで通じ合う、…というのはなんかやばい。そして血液が混じり合う。プールの中で、弁護士も「ボイス」も殺害される。何か不吉なイメージがある。
それにしても、ラストの取引のところの太陽の光とか風とか、空気感が今までにない美しさだった。
銃弾、視界を塞ぐガムテ、祭壇の蝋燭、熊の人形、聖ユダ(を入れていた熊のケース)、鉛筆…など。
非英語の言葉の響きが耳に残る…。歌とか、ラジオとか。
しかしシャツを脱いで振り回すのはいい感じだなー。
やはり、距離を隔てた場所同士(をつなぐこと、切断されること)なんだろうなと思う。それによる同調やずれ。
レーモン・ルーセルロクス・ソルス』読む。ほんとうに狂っている。なんか微妙に理屈をすっとばしつつ、妙なとこだけ描写が細く、エピソードが連なり、全貌を見させない小説。