ジョン・タートルトーブ魔法使いの弟子」見た。しかしこれを初日に見るって…。

無から生み出すのではなく、その場その場にあるもん、小物から建築物まで、銅像やら何やら、を利用して魔法対決をする、というのはやはりおもしろい。どこでも通用する超能力としてでなく、その場所で、その時に最善のものとして、効果を発揮する論理的能力としての魔法。物語的に、終わり方とか特に、サントラのセンスとか(でも比較的、このださい歌が機能していた…プラズマに合わせ光り輝いていたのはぐっときた)、ブラッカイマー節だった。なので伏線のこととかごちゃごちゃ言う必要なし。あとスターウォーズネタは、あーいう能力があるとだれしも思うもの。
冒頭のナレーションで細かいとこは処理する、という方法。そして本編では10年の時間を平気ですっとばす。…という時間処理に、「何か」がある気がするんだけどなぁ。子供時代のあの細部の描き方は素晴らしいが(キングコングの落書き、「Friend or Girlfriend」)、10年後のナードっぷり炸裂・に対してきれいになってる同級生、の描写のベタベタさ。
魔法では、鏡を使ったカーチェイス(って書いてもなんのこっちゃって感じだけど)、がおもろい。『デジャヴ』かよ、ってちょっと思った。そして、改めて、ブラッカイマーのフィルモグラフィー(と言うのかしらんが)を見てみると、何かそこに恣意的なものを読み取りたくなる、というか、そういうものがある気がする。
そしてニコケイも、がんばってはいた。ただでさえ、あいまいな役柄だから。この人も仕事が変わってるからなぁ。

そんでニムロッド・アーントルプレデターズ』も見た。

タイトルロールの出方がかっこよすぎ。あとやっぱり思うのだけど、プレデターは、姿を現さない時の方がかっこいい。どーも、姿が見えてからの動きが、図体がでかいというのもあって、どたどた、という感じに見えるんだよなぁ。日本刀との対決もなぁ。あと死に方のバリエーションの問題。罠は最高。
ジャングルの映し方、溶岩が流れて固まったっぽい地面(多分ハワイ)、空に浮かぶ惑星群、という風景と、一列に並んだ「獲物たち」、という画面が、なんとも美しかった。
ローレンス・フィッシュバーンのキャラとか、嫌いじゃない。
泥をぬって戦うのも、嫌いじゃない。エイドリアン・ブロディ、いいからだしとるなぁ。