クリント・イーストウッドヒアアフター』見た。
例によって、なんていったらいいかまるでわからないのだけど…。
ボルヘス『永遠の歴史』をちょいちょい読んでいて、漸くボルヘス節が出てきたなと思ったのだけれど、それが、どういった部分なのかといえば、何らかの挿話が書かれた時なのだった。
挿話とは何なんだろうか。本筋のストーリーをアシストし、ある部分を象徴しつつ、そこから逸脱するものを孕んだ、(少なくとも全体よりは短いはずの)エピソード。
この映画は、言ってしまえば、挿話の集合体だ。3つの挿話だ。それらは、映像のや物語の語られ方の質感も異なるように作られている。
強烈に(といってしまってもいいだろうな)印象に残るのは、ロンドンの双子の物語、だろう。

彼らの一連の妙に整った動きを追っていく冒頭のシーンから、不気味ですらある。二人揃って鏡に映り、並んだベッドで眠る。
その後、兄はなくなり、弟は、喪の彷徨とでもいうような行動を起こしてゆく。胡散臭い霊能力者や科学者に会い、兄と交信を試みる…と単純に言えないような、奇妙さを持つ行動だ。青みや灰色の強い映像がまた、一種のホラーとでも呼べるようなふんいきを漂わせている。福祉局の二人が何度も登場するところも、ちょっと怖かったりする。ロンドン地下鉄爆破テロに纏わる「挿話の挿話」も、なんというか、もやもやする。それがのちに、マット・デイモンによって聊かあっさりすぎるくらい解釈されるのもまた…。それになにより天気雨!!!!

そして、フランス人女性マリーの体験談。リアルで残酷な(まるでスピルバーグのような!)力学的に正しく人が傷つけられ死んでゆく津波の描写が圧倒的だ。少しCGがチープのような気もするが…(ここはスピルバーグっぽくない)。
それはともかく、彼女の道行は、成功からの転落と目覚め、といったところだろか。双子と違って幻想的ではなく、冷静な視点で語られていく。彼女は決して、使い古された言葉で自分の経験を表現しようとせず、言い淀む。はっきり言えばどうなるかといえば、出版エージェント(?なんだろうか多分…)たちの、こいつやべぇ的リアクションを呼び覚ましてしまうし、不倫相手のプロデューサーは離れていく。

この両者は、最終的に霊能力者のマット・デイモンと、ロンドン(そのコアになるのがディケンズとは!!やばすぎだろ)でゆるやかに(自然さと不自然さのあわいで)一つになるのだけど、その能力者ジョージは、彼自身の不安感をによって揺れ動いている…のだけど、暗がりで(美しい光の当たり方の処理はすばらしい)手を握るという、その行為の単純さと「見え方」のあっけなさ(そして結局やってしまう感じ)に度肝抜かれる。それを繰り返すことによって、驚きを薄めようとしているのかもしれないけれど、ほんと良く考えるとおかしい。
にしたって、ブライス・ダラス・ハワードすてき。

でも、あの料理教室でのしつこいくらいに官能的な食材当てクイズの後に、彼女と父親の間に、ある出来事(大体想像はつくけれど)があったことを描くという、最悪に悪趣味な展開には胸打たれる。そのことがあって逆算してゆくと、彼女自身の置かれている現状がどんなものか察しがついてしまうのがまたつらいし、そういう感覚を観客に持たせようとする、というのがまた良い。

っていうかラストも含めて、これなんなんだ、というしかない。
いや、本当はちょっとあって、それは、増えることを断ち切る、ということだったりする。
ともに鏡に映り、床を並べていた双子の兄が死に、帽子をかぶることをやめた時、彼らは二人から一人になるし、ポスターやテレビに登場し、パリの街中で増殖していたマリーの姿は、後釜に取って代わられる。単一化への過程が、Hereafterへと近づいていく経緯と重なる不思議さ。
ジョージもまた、膨れ上がった彼自身の虚像(と少なくとも自身では感じているホームページの顔)を振り払い、一人であろうとする。…のだけど、そうではないのがまた、…なんなんだこいつは、という感じで。

で、さらに、オリバー・ストーンウォール・ストリート』見た。
まずは、とりあえず、キャリー・マリガン
瞳から、もうほとんど下というより斜め前に涙がこぼれている。

この時の、ジェイコブが、ウィニーに、出資させようと説得するシーンの、不安そうな泣き顔からの思わず含み笑い、の表情の変化たるや、もう。。この二人がリアルに付き合ってるなんてね。シャイアよ。

mentorと弟子の関係が繰り返し登場する。フランク・ランジェラジョシュ・ブローリン、そしてマイケル・ダグラス=ゴードン・ゲッコー、と、本人の意向はどうであれ、関係を切り結ぶジェイコブ。
またジョシュ・ブローリン=ブレトンとジュールという不幸に終わる関係もあり、ゴードンとバド・フォックス(まさかの!最高)もまた、そういった関係の変奏であるだろう。
よき弟子とよき師匠という組み合わせに必ずなるかといえばそうではないし、それは、親子の関係に似ているがそうではない。ちなみにそもそもこの映画で、まともに親子として成立している組み合わせはあっただろうか。ウィニーもジェイコブも苦しみを抱えている。
親子が過去ならば、mentorは現在を形作り、子供は未来だ、ということか。石油が過去ならば、エコ・エネルギーは未来だ。ゲッコーは、この流れに抗おうとしていた。誰も覚えていない遠い昔の「チューリップ・バブル」を捨てていくのだ。しかし彼は、現在に食い込むことはできても、未来の希望という甘い誘惑(それは、欲望に似て非なるもの)をも完全に踏みにじることはできなかった、のかもしれない。

朝の出勤の流れるようなシーンや、風説の流布の描写、CGインサート、の、オリバー・ストーンっぽさ。
スーザン・サランドンフランク・ランジェラ(Laysのチップス食べる感じとかもう、身につまされたなぁ)、ジョシュ・ブローリンなど、しびれる役者のすばらしさ。
スタイリングの見てて飽きなかった。襟の作りの違い、蝶ネクタイ(したくなった)、ジェイコブのネクタイの柄、スーツや靴をがつがつ新調するゲッコー。
音楽もめちゃくちゃかっこよかった。バーンとイーノ。サントラ買おうかな。

米澤穂信追想五断章』とゴンブローヴィッチ『トランス=アトランティック』とミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』買った。錦糸町のブクオフすごい。米澤穂信読み始める。相変わらず、不穏な人物描写。

錦糸町に映画を見に行ったのだけど、駅前開発の感じが、微妙にそれぞれの施設の距離があって、妙に開けていて、向こうにスカイツリーが見えるといったような…。