エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』読み終えて、穂村弘『短歌の友人』読んだり、木下古栗『ポジティヴシンキングの末裔』読んだりした。
にしても、この小説はなんなんだろうか。何かに似ている、と言うことが出来ない。シャンディ≒ポータブルである芸術家たちの流浪。陰謀や、奇妙な身振り、発言、記述の連続。
《(…)小説の時代は終わったわ、これからは短い話や断章、序文、補遺、脚注といったもののほうがいいのよ(…)》(p92)
《つまり、この絵はがきは迅速な言語をほめたたえ、普遍的であるかのような顔をしてお高くとまっている本を告発するものなのです。》(p112)
彼らのそばにいる、オドラデク、ゴーレム、ブカレスティ、の存在は、この小説を読んでいると、当然印象に残るわけだけど、こうした存在もまた、小さく、常に動いていて、不確定なのだった。彼らの作品と同じように。
つまり、そういうことが、重要なのだ、独りで、思索し、簡易で、簡素で、しかし、異常な論理で、生き、創作すること。
すごくはっきりとしてくる。つまり、カフカなんだろうけど。