カフカ『夢・アフォリズム・詩』読んでる。
《芸術の自己忘却と自己止揚―本来、逃亡であるものが、自称、散歩になり、攻撃にさえなる。》(p109)
《世界のさまざまな声が、より静かに、よりまばらになるということ。》(p93)
アフォリズムとして成立しているものより、何物としても存在していないような言葉が気になる。
「セシルはセシル」めっちゃいい曲だ。